引用

加 飾

この本の出来不出来については諸説あります。僕にも判断はできません。
いずれにせよ。出版社がそうさせたのか、執筆者ご本人の意思なのか、この書籍以外に橘さんによって、この事件を殊更に掘り下げようとした形跡は公には見受けられないように思います。

でも、それほどに難しい事件だったのだと思います。

セレブモンスター

彼らにとって、どこまでが虚構で、どこまでが現実だったのか…
リアルに自分が体験している人生、その現状に納得できずに、自分を加飾し、加飾するために費やされる時間はなかったことにする。世間に評価される作法は全うしたいし、自分らしくもありたい。そのうち、リアルとフィクションの境界に自分では処理できない矛盾をはらんで現実が襲いくる…

リアルがすっぽりと抜け落ちているのに、それを承知で、そのリアルを生きていこうとする…犯人にも、そして被害者にも、そういう恐ろしさがあり違和感があります。

たぶん「これまで」からの類推をまったく拒んでいるような事件なんでしょう。ノンフィクション作家の河合香織さんも雑誌G2(講談社:現在休刊中)で、少しルポルタージュを試みて(vol.6 2010年)おられますが、やはり未消化のうちに筆を置かれています。

僕らの人生はすべて現実なのでしょうか。疑えばきりがないようにも思いますし、逆に気にしなければすべてが現実のようでもあります。

事件が起こったのは2006年の12月でした。その後、こうした違和感にもあまり驚かなくなった自分がいます。

セレブ・モンスター―夫バラバラ殺人犯・三橋歌織の事件に見る、反省しない犯罪者
橘 由歩 著  河出書房新社 2011年

引用

世の中は

51OPICURrFLそういえばドラマ版「深夜食堂」(MBS製作/TBS系にて放送 2009年〜)にご出演のオダギリジョーさんの最後のセリフも「世の中は」ではじまる句でしたね(川柳かな)。思い出しました。

ドラマも大好きですが原作もおすすめです。

それにしても、こういう話が多くの人に愛でられるっていうのは、孤独な都会の面積がいかに広範になり、いかに「場所」がなくなっているかということの表れでもあるんでしょう。ドトールやスタバにマスターと常連の関係はありえませんし、ワタミだってそうです。ひたすら東京砂漠なんでしょう。

深夜食堂
安倍夜郎 著  小学館 刊(ビックコミックオリジナル)
今は13巻まで出ているんだったかな。

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

方丈記

現代語訳「玉を敷きつめたような都の中で、棟を並べ、屋根の高さを競っている、身分の高い人や低い人の住まいは、時代を経てもなくならないもののようだが、これをほんとうかどうかと調べてみると、昔からあったままの家はむしろ稀だ。あるものは去年焼けて今年作ったもの。またあるものは大きな家が衰えて、小さな家となっている。住む人もこれと同じだ」

都市はそれで生成りなんでしょうね。

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GORO

今は昔「GORO」という雑誌がありました。隔週刊誌。発行期間は1974年〜1992年。小学館の発行でしたが学童向けではなく、ちょっとエロが入った若い男性向け、当時はYA(ヤング・アダルト)誌と呼ばれていました。

僕は1961年生まれですから まさに、この雑誌がターゲットとしたマーケットのド真ん中。確かに発売を楽しみにしていた雑誌のひとつです。

goro-top1a手元にあるストック、そのヘッドラインを見直してみると、驚くほどにSEX/クルマ/スキー他レジャー/音楽など。政治/経済/社会問題などはまったくナシです。「彼女を陶酔させるKISS学」…どうりで今日の「週刊現代」や「週刊ポスト」がSEX化していくわけです。

「アメリカ駐在ビジネスの覆面座談会」なんていう記事も掲載されていたりしますが「アメリカ人とつきあうには上手なほめ方が一番大事」なんておバカな切り口で、会社の中の人間関係重視な、なんだか「それ、日本の会社での話しでしょ」ってな感じだし、人種や民族の違いなど、アメリカで最も難しい部分には触れられてないしぜんぜんリアルでもない…

10代後半から30歳代になるまでを、ほとんど「SEX/クルマ/スキー他レジャー/音楽」で過ごしてきた読者が、その後、40代、50代になったからといって、急に賢くなるわけでもないでしょう。つまり「頼り」にならないんだと思います。経済的な状況、社会問題、会社が置かれている状況なども日一日と難しくなるばかりなんですから。

なんだか、申し訳ない気分になってきました。ホントに申し訳ない。

そうでなくても、工業生産時代の経験を積み上げて年齢を重ねてきた「僕ら世代の経験」は、これから先のこの国でどれだけ役に立てるか判らないのに、僕らはなんとステキな10代、20代を過ごしてきたことか…

これまでの生き方が問われますね。ステレオタイプに時代や周囲にくっついてきただけだったのか、きちんと自分の道を切り拓いてきたかどうか…

少なくとも、すべての年上が年下にアドバイスできるなんて幻想でしょう。文字どおり親子ほども年が離れている「わが子」の進路についてさえ有機的な相談相手になれるかどうか…

とにかく、目の前にある現実をしっかりと受け止めて、前向いて進んでいくしかありません。

もう昨日は戻ってきませんからね。

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ただ、見えないだけ

この本の中で、小沢昭一さんは、敗戦直後の下町にあって(オヤジ方の)わがご町内の存在がいかに貴重であったか、有難かったか、心情たっぷりに語っておられます。
正確に言えば、小沢さんが浅草の範疇に数えられているうちの方は、あえていっても元浅草で、浅草じゃあないでんすが、あの周辺で唯一焼けなかったわがご町内は、敗戦直後の時代を生きていた東京人にとって、珠玉のように、貴重なものだったということなんでしょう。

asakusa有難いことに、わがご町内は、東京オリンピック前後の開発ブームは免れていたので、僕は、夫婦漫才の師匠や、レンズ磨きのおじさんたちが混在し、うちの隣はそろばん塾という、昔ながらのご町内を経験することができました。でも、子どもの頃から、その時間と空間を当たり前のものとして過ごしてきた僕は、その貴重性を殊更に意識することもなく、尊敬する小沢さんの、短いけれど、ひしひしと伝わってくる思いに触れて、ようやく、その有難さを理解したというのが正直なところです。

しかも、そうやってちゃんと認識できるようになる前に、わがご町内の「ご町内らしさ」は、バブルを前後して完全に消滅していました。

(銅ぶきの看板建築が次々になくなり、銭湯がなくなり、誰それが引っ越すだの、どっかにマンションを買ったのだのという話しが続き、あっという間に、雑居ビルとマンションの街になってしまいました)

あの頃、たまたま、どっかの大学で、わがご町内の開発計画を耳にしたことがあるのですが、なんだか、理科の実験で解剖されるカエルの気持ちがわかったような気がしました。先生の有難いのお話を聞きつつ、何が街づくりだ、グランド・デザインだ、よそ者が何を言ってやがると思い…、すでに似たような仕事をしていた自分自身をも呪っていました。

(その開発計画は幸いにして実現しませんでしたが)

とにかく、再開発っていうのは空襲以上の破壊力を持つこともあるということです。しかも味方どうしの殺し合いみたいなもんです。

一定の時間、ビジネスをすると、成功した人ほど東京に引き上げてしまうヨコハマとは違って、東京には、その土地に定着する、よき中間層が育ちつつあります。確かに大震災や空襲などの風雪はありましたが、それでも残る家もあり、街場の文化を洗練に導きつつあったわけです。それを前の東京オリンピックが破壊し、1980年代末のバブル経済が空虚なコイン駐車場に変えていった…

なんと惜しいことか。

街文化の熟成には時間がかかります。イベントのようにお金をかければ「それなりに」というわけにはいかないものです。街かどに、その街文化が薫るようになるまでに、あっさりと数百年の時間が必要だったりします。その「悠久さ」を一時のお金儲けのために分断してしまうことは、過去の人々からも、未来の人々からも歓迎されないでしょう。

可視できないからといって、そこに何もないわけではなく、歴史は、過去から未来へと確実に流れているもの。

ただ、見えないだけなのです。

ぼくの浅草案内 小沢昭一 著 筑摩書房 刊(ちくま文庫)

引用

なんでみんな人に託す?

森まゆみさんと中島岳志さんが、戦前な昭和に至る歴史を語りながら東京を散歩するという「帝都の事件を歩く ー藤村操から2・26まで」(亜紀書房 2012年9月)に以下のような会話が記されています。

森  東日本大震災後、後藤新平待望論のようなものがあります。もう一度、ああいう人が出てこないかというような。昔から、混乱すると強いリーダーを求めると言われますが。

中島 そういった待望論の最も先鋭化した形が、現在では大阪の橋下人気なのでしょう。

森  なんでみんな人に託すんでしょう。それがよくわからない。あてにならない民主党なんかに頼らず、自分たちで何か行動しなければダメじゃないと思うんですけど。いっぽう原発デモでは若い人が相当、貧困や失業の鬱屈を東電や政府にぶつけているような気がします。

teito_no_jiken2012年の段階で、こうもズバッとおっしゃられているんでびっくりしましたが(他で、こんなに「ズバッと」なのを見たことないような気がして)「なんでみんな人に託すんでしょう。」は僕の不思議でもあります。何度も裏切られてきているのに、また「託す」…

あとがきでも、森さんはこう書いておられます。

他力本願な英雄待望論も散見するが、もっと悪い方向へ向かいそうだ。鬱屈のはけ口のように、テロや暴力沙汰が起きることは望まない。スピリチュアルやカルトに逃避することも危険ではなかろうか。結局、国がどのように揺れようとも、情報を集めて解析し、自分の頭で行動し、たやすくはめげない仲間たちの輪をつくることが大事だと思う。誰でも参加でき、誰も排除されないような場所をつくれば社会は暴発しない。

全く同感です。

僕などには「たやすくはめげない仲間たちの輪をつくること」の具体像は掴めませんが、考えつつ、行動に移しつつもあります(まずは「仲間」ありき…ではありませんが)。とにかく「安心」は誰かがくれるものではない。自分で「安心する」もんだとは思っています。

帝都の事件を歩く ー藤村操から2・26まで  
森まゆみ・中島岳志 著(路上対談)/亜紀書房 2012年 刊

引用

どこか虚しいのは

yuasa2012(平成24)年の8月の初版だったのかな。湯浅誠さんの著作「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版)。当時、頻繁に学校に顔を出していたので、かなり話題になっていたのを記憶しています(公共政策学専攻ですからね)。

この著作の主たるところには、この国の民主主義の(市井における)現状やら、それを取り巻く人々の感情、役所の現状などが述べられています。
さすがは湯浅さん。「机上」を遠く離れた重厚感と説得力を持った筆致です。

僕自身もお役所との付き合い、かれこれ30年。民間の企業とも仕事上の関わりを持ってきましたから「タテ割り」は、なにもお役所に限ったことではないこともよく存じ上げています(民間企業でさえ、再開発の開発部署が残していったレガシーみたいなものを、それと解っていて壊そうとする管理部署の存在があるものです)。そんな彼らは、企業市民だ。メセナだ。フィランソロピーだなどという風潮があった時代も、それをいかに形骸化してしまうかに腐心し、お役人も内実は「私人としての就業者」ですから、まったくもって「公」は不在。論拠なく「誰かがやってくれる」と無邪気に思い込んでいる節もあります。

我田引水というか、反知性主義というか…

残念ながら日本は本来の意味でのソーシャルワークが弱い。「ソーシャルワーカー」と呼ばれる職員さんたちはいろいろな分野にいますが、その方たちがソーシャルワークをやっているかどうかは別の話です。

湯浅 誠 著「ヒーローを待っていても世界は変わらない」147頁

そういう日本に「日本ってそうなんだよ」という本を、ものすごい説得力で書いて、それで何になるのか。
僕などは、もう行動に出る人はとっくに行動に出ているだろうし、やっぱり「フツウ」を選択する人に「イチ抜け」はホントウに至難の技なんだと思ってしまいます。

広域に訴えるような本にしたのは、ひょっとしら編集者さんなのかもしれませんが、やっぱり湯浅さんが取り組まれてきたように市井の見える場所で実践(行動)を積み上げるしかないのでしょう。

というわけで、確かに「間に合うかなー」とは思うのですが、さりとて王道はなさそうです。

引用

センセイの鞄

sensei_kaban2これは、WOWOWで製作され、2003年の2月、フジテレビのスペシャル枠で放送されたTVドラマ「センセイの鞄」DVDのジャケットです。

川上弘美さんの原作も人気作ですし、漫画にも、舞台にもなっているようですが、僕は、このドラマ版が一番好きです。
久世光彦さんらしい演出、筒井ともみさんらしい脚本。
オーケストラのような重厚に過ぎる感じのない、カルテットくらいな編成で奏でられたような名作だなーと思います。

それにしても、まさに、この物語こそが、店屋の妙というのか、都市らしい人間関係、あるいは「つながり」つまり「(お店の)カウンターを挟んだ、お客さんどうしの横の関係。その不思議」をそのまま画にしたような作品だからです。

主人公のツキコさんが、高校時代の古文の先生と再会するのは、いきつけの居酒屋です。そもそも、その居酒屋は、都会で一人がんばっているツキコさんにとって、唯一「ただいま」的に帰って来れる場所だったのだと思います(だから、カウンターに座るんだと思います)。

そして、ある意味、同じような境遇にあった初老の男と、このツキコさんの心を、30歳の年齢差を越えて結んでいくのも、この、居酒屋のカウンターです。

sensei_kaban1カウンターに座れば、先生とツキコさんは横並びです。面と向かってしまうと、どうしていいかわからない関係でも、なんとなく横には並べたりもする。居酒屋のカウンターなんだから、しょうがないというエクスキューズもあるでしょう。
そして、目の前には、店主がいる。彼は料理を供しながら、二人を客として寓しながら、なんとなく仲人役にもなっていきます。

確かに、高校の教師と生徒ではありますが、それは遠い昔の話しで、今は職縁で繋がる話題もなく、育ってきた時代も違うので、そういう意味で話しが弾むわけでもない。
だから、切っ掛けは難しい。一度、打ち解けてしまえば、お互いがそれぞれに抱える寂しさが、きっと二人を繋げていくのだけれど…

作品の中で、この居酒屋と、このカウンターは、先生とツキコさんの物語の背景であり、舞台装置に過ぎないのかもしれません。でも、このカウンターと、この居酒屋がなければ、この物語も始まらなかったことも、また事実です。

僕はね、現実の「人と人のつながり」も、案外、こうやって始めていく方がスムーズなのかなと
そんなふうに思っています。

DVD「センセイの鞄」
原作:川上弘美  脚本:筒井ともみ 演出:久世光彦
出演:小泉今日子/柄本明/モト冬樹/豊原功輔/竹中直人/木内みどり/加藤治子/樹木希林 他