引用

800 TWO LAP RUNNERS

本筋は陸上競技(部活)を背景にしたボーイズラブ込みの高校生な恋愛物語です。でも、僕が好きなのは、主人公の一人が生まれ育ったテキ屋の幹部である唐十郎さんと、場末のスナック・ママにしては清楚すぎる斉藤慶子さんが、往年の南沙織さんのヒット曲「ひとかけらの純情」を、息を合わせてスナック・カラオケでデュエットするシーンです。

800いつも雨降りなの
二人して待ち合わす時
顔を見合わせたわ
しみじみと楽しくて
  

筒美京平さん作詞の、この唄い出しを、ホントにしみじみと楽しそうに唄う…見つめあったりしてね。

この映画の野村祐人さんも大好きですが、それ以上に、場末スナックのデュエット・シーンが好きなのです。

たぶん。僕が好きな街の匂いがするんでしょうね。フツウの道を歩いてこれなかった人が束の間でも幸福そうにしている雰囲気があれば、僕も幸せな気分になれるのでしょう。

それから本筋の部分については、この映画の原作小説「800」(川島誠さん作)もお勧めです。陸上競技における800m走には短距離とも長距離ともつかない不思議さがあるんだそうですが、たぶん大人でも子どもでもない思春期の若者のメタファーが800m走だったのでしょう。ぐいぐい引き込まれる作品です。

いずれにせよ。言葉で活写されているが、言語的ではなく薫るような映画であり、小説です。

映画「800 TWO LAP RUNNERS」(1994年)
監督 廣木隆一 出演 松岡俊介/野村祐人/有村つぐみ/河合みわこ/袴田吉彦

小説「800」
川島誠 作(現在は角川文庫 2002年)

引用

加 飾

この本の出来不出来については諸説あります。僕にも判断はできません。
いずれにせよ。出版社がそうさせたのか、執筆者ご本人の意思なのか、この書籍以外に橘さんによって、この事件を殊更に掘り下げようとした形跡は公には見受けられないように思います。

でも、それほどに難しい事件だったのだと思います。

セレブモンスター

彼らにとって、どこまでが虚構で、どこまでが現実だったのか…
リアルに自分が体験している人生、その現状に納得できずに、自分を加飾し、加飾するために費やされる時間はなかったことにする。世間に評価される作法は全うしたいし、自分らしくもありたい。そのうち、リアルとフィクションの境界に自分では処理できない矛盾をはらんで現実が襲いくる…

リアルがすっぽりと抜け落ちているのに、それを承知で、そのリアルを生きていこうとする…犯人にも、そして被害者にも、そういう恐ろしさがあり違和感があります。

たぶん「これまで」からの類推をまったく拒んでいるような事件なんでしょう。ノンフィクション作家の河合香織さんも雑誌G2(講談社:現在休刊中)で、少しルポルタージュを試みて(vol.6 2010年)おられますが、やはり未消化のうちに筆を置かれています。

僕らの人生はすべて現実なのでしょうか。疑えばきりがないようにも思いますし、逆に気にしなければすべてが現実のようでもあります。

事件が起こったのは2006年の12月でした。その後、こうした違和感にもあまり驚かなくなった自分がいます。

セレブ・モンスター―夫バラバラ殺人犯・三橋歌織の事件に見る、反省しない犯罪者
橘 由歩 著  河出書房新社 2011年

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世の中は

51OPICURrFLそういえばドラマ版「深夜食堂」(MBS製作/TBS系にて放送 2009年〜)にご出演のオダギリジョーさんの最後のセリフも「世の中は」ではじまる句でしたね(川柳かな)。思い出しました。

ドラマも大好きですが原作もおすすめです。

それにしても、こういう話が多くの人に愛でられるっていうのは、孤独な都会の面積がいかに広範になり、いかに「場所」がなくなっているかということの表れでもあるんでしょう。ドトールやスタバにマスターと常連の関係はありえませんし、ワタミだってそうです。ひたすら東京砂漠なんでしょう。

深夜食堂
安倍夜郎 著  小学館 刊(ビックコミックオリジナル)
今は13巻まで出ているんだったかな。

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ただ、見えないだけ

この本の中で、小沢昭一さんは、敗戦直後の下町にあって(オヤジ方の)わがご町内の存在がいかに貴重であったか、有難かったか、心情たっぷりに語っておられます。
正確に言えば、小沢さんが浅草の範疇に数えられているうちの方は、あえていっても元浅草で、浅草じゃあないでんすが、あの周辺で唯一焼けなかったわがご町内は、敗戦直後の時代を生きていた東京人にとって、珠玉のように、貴重なものだったということなんでしょう。

asakusa有難いことに、わがご町内は、東京オリンピック前後の開発ブームは免れていたので、僕は、夫婦漫才の師匠や、レンズ磨きのおじさんたちが混在し、うちの隣はそろばん塾という、昔ながらのご町内を経験することができました。でも、子どもの頃から、その時間と空間を当たり前のものとして過ごしてきた僕は、その貴重性を殊更に意識することもなく、尊敬する小沢さんの、短いけれど、ひしひしと伝わってくる思いに触れて、ようやく、その有難さを理解したというのが正直なところです。

しかも、そうやってちゃんと認識できるようになる前に、わがご町内の「ご町内らしさ」は、バブルを前後して完全に消滅していました。

(銅ぶきの看板建築が次々になくなり、銭湯がなくなり、誰それが引っ越すだの、どっかにマンションを買ったのだのという話しが続き、あっという間に、雑居ビルとマンションの街になってしまいました)

あの頃、たまたま、どっかの大学で、わがご町内の開発計画を耳にしたことがあるのですが、なんだか、理科の実験で解剖されるカエルの気持ちがわかったような気がしました。先生の有難いのお話を聞きつつ、何が街づくりだ、グランド・デザインだ、よそ者が何を言ってやがると思い…、すでに似たような仕事をしていた自分自身をも呪っていました。

(その開発計画は幸いにして実現しませんでしたが)

とにかく、再開発っていうのは空襲以上の破壊力を持つこともあるということです。しかも味方どうしの殺し合いみたいなもんです。

一定の時間、ビジネスをすると、成功した人ほど東京に引き上げてしまうヨコハマとは違って、東京には、その土地に定着する、よき中間層が育ちつつあります。確かに大震災や空襲などの風雪はありましたが、それでも残る家もあり、街場の文化を洗練に導きつつあったわけです。それを前の東京オリンピックが破壊し、1980年代末のバブル経済が空虚なコイン駐車場に変えていった…

なんと惜しいことか。

街文化の熟成には時間がかかります。イベントのようにお金をかければ「それなりに」というわけにはいかないものです。街かどに、その街文化が薫るようになるまでに、あっさりと数百年の時間が必要だったりします。その「悠久さ」を一時のお金儲けのために分断してしまうことは、過去の人々からも、未来の人々からも歓迎されないでしょう。

可視できないからといって、そこに何もないわけではなく、歴史は、過去から未来へと確実に流れているもの。

ただ、見えないだけなのです。

ぼくの浅草案内 小沢昭一 著 筑摩書房 刊(ちくま文庫)

引用

戦争と個人

現在は代々木公園、国立代々木競技場、国立オリンピック記念青少年総合センター、NHK放送センターなどとなっている、占領アメリカ軍兵士、軍属たちのための住宅が「ワシントンハイツ」でした。このワシントンハイツについて書かれた秋尾沙戸子さんの著作「ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後」(新潮社)は、たんにワシントンハイツの日常を描写するだけでなく、ここからジャニーズ事務所が始まったことなど「占領される」ということが、この国にどういう化学変化を生じさせたのかなど、立体的に「ワシントンハイツがあったこと」を活写しています。

一方、ヨコハマの本町通り、山下町交差点にシェル石油のビルがありました。竣工は1929(昭和2)年(竣工時はライジングサン石油横浜本社)。今は高層マンションになってしまいましたが、1990(平成2年)に解体されるまで、あの狂乱なバブルの時代にも襟を正したような、いい時代のモダンな感じを冷凍保存したような建物でした。下の写真は1985(昭和60)年に、シェル石油と昭和石油が合併する前年に撮影した建物正面にあった回転ドアです。今も後継のマンションに「回らなくなった回転ドア」が意匠として保存されていますが、なんだか建物の継承保存について鯖を読まれているようで、あまり好きになれません。

shellこの建物の設計者はアントニオ・レーモンドさんとベジドフ・フォイエルシュタインさん。
アントニオ・レーモンドさんはあのフランク・ロイド・ライトさんのお弟子さん。帝国ホテルの設計にも関わっていたという人です。

このレーモンドさんについて「ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後」には、彼が、アメリカ軍による焼夷弾効果実験のための「日本の木造家屋」を設計したと書かれています。ソルトレイクから120キロの砂漠に、トタン屋根と瓦屋根と2種類の住宅群をつくり、建材もでくるだけ日本のヒノキに近いものを使用し、畳も敷いて、室内にはちゃぶ台や洗い桶まで置いた…。国家総動員法の施行以来、日本からの情報が途絶えていたアメリカ軍にとって、日本に造詣の深いレーモンドさんは貴重な存在だったようです。

そして、ライトさんのお弟子さんとして来日したとき、すでにレーモンドさんは予備役ながら軍の諜報部員という肩書きをもっていたことが、アメリカ陸軍の資料に残っているんだそうです。

レーモンドさんは、シェル石油のビルだけでなく後藤新平の自宅、聖心女子学院、東京女子大の礼拝堂などいくつもの「東京の建物」を設計しています。もちろん、日本の建築士に足跡を残された方です。でも、その一方で彼は謎の多い人物でもあり、ひょっとしたら日本と米国のダブル・エージェントだったのではという見方もあります。

レーモンドさんは、1947(昭和23)年、再来日し、日本に設計事務所を開き、1973(昭和48)年まで活動されています。

止むに止まれぬ事情があったのかもしれませんが、レーモンドさんは、東京をつくって、その東京を燃やし、どんな空襲があったかを充分に承知の上で、その空襲からたった3年後には再来日し、また、東京をつくっていた…

早計に結論を出すのは間違いでしょう。でも「戦争に翻弄された」とは言い難い個人がここにいるように思います。

僕は、あの頃、若者たちを戦場に送り出すことに加担した多くの市井の大人たちにも、同じような感慨を持っています。そして、今、この僕が、あのときの大人たちと同じような状況に立たされる可能性が出てきていることも認識ししています。

戦争が遠い彼方にあった時代はすでに過去のものになりつつあります。

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この国の希望

オフクロが久々に映画を観に行き、面白かったというので「話を合わせるため」にレンタルDVDを借りてきた… ただそれだけの話でした。

でも、違和感があった…

貧乏な小藩というのはともかく、なんで「いわき」の藩だったのか。その藩の名物としてなぜ大根の漬物をクローズアップするのか…

話は「隠し金山」の濡れ衣を着せられた小藩に、無理難題を課して「お取り潰し」を狙う幕閣と、それを小藩が見事に切り抜けてゆくという物語。

一件落着して、まとめのシーケンス。将軍は、小大名に「身中の虫をあぶり出すためにお前に艱難辛苦を強いた」と詫びを入れ、でも「余は弱い家来などいらぬわ」ともいいます。
小大名は、その場で「我々はよいが、民のことを考えると肝が冷えました」と返し、将軍が「どういうことだ」と問い返すと
小大名「もし、上様がまことに愚かであれば民が苦しみます故」と応えます。

将軍「そちの申すとおりじゃ」と笑い、なぜ「隠し金山」が濡れ衣だと、あらかじめ気がついていたのかと問う小大名に、将軍は「前の献上品の大根は絶品だった。よく耕した土の味がした。あの様な大根を持ってくるやつに悪い奴はおらん」と応えます。そして居住まいを正した将軍は

「政をおろそかにして、いわきの土を殺してはならん。この先、永久にな」といいます。

ああ、闘っている人がいる。素直にそう思いました。あのときの「四谷怪談」と同じです。

この国に革命は起こりませんが、もっとスマートな(人の血が流れぬ)方法が息づいています。
婉曲に過ぎるのではなく、有効なボディ・ブロウを打ち続ける方法。ゴジラだって、ウルトラマンだってそうでした。

まさに「良心」なんだろうな。百田尚樹さんや山崎貴さんみたいな方もいらっしゃれば、そういうエンターテイメントの造り手がいて、演者さんやスタッフさんがいて、そういうエンターテイメントに資金を提供する企業もある…

ホントに有難い。この国の希望だと思います。

引用

狡 知

「狡知」っていうと「ずる賢い知恵。悪知恵」が語釈で、ひたすら「悪いイメージ」な言葉でした。でも、小川さやかさんのサントリー学芸賞受賞作「都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」(世界思想社 刊)は、この「狡知」という言葉のイメージを大きく変えてくれたように思います。

ずる賢く立ち回らなければ、大きいものに潰されてしまう小さい者。小川さんは、その「小さい者」に「狡知でいいんだよ」とささやいてくれたように思います。

狡知しかもね。ちゃんと「仲間とのつるみ方」にも言及し、著作の第1部につけられた表題は「騙しあい助けあう狡知」です。

(信用取引に)時代とともに「現金」が介在し、マチンガの民族誌にも大きな変化がもたらされる…そういうことにもちゃんと触れていらっしゃいます。

この本の帯に、玄田有史さんは「日本社会への痛烈な批判としても読める」と書いていらしゃいます。でも、今の「日本社会」にはないかもしれないけれど、僕が子どもの頃にはマチンガみたいにして都市を生き抜いている人たちがいた…未経験じゃないんです。

第2部、第7章の二項めの表題には「群れあうけれど、なれあわない」とあります。確かに、今は、たいていの人が、たったひとつのシステムになれあって生きているような時代ですが、特に大都市は、もっと独立の気風にあふれる場所でした。長ものに巻かれないからこそ「騙しあい助けあう狡知」だった…

僕は、零細商人たちが組合などにオーガナイズされていくごとに、親分は明確になり、それぞれは痩せ細っていったように思うんです。そして街も勢いを失った…

僕らの親たち世代の多く(僕らもかな)が「金に目が眩んだ」んでしょうね。

でも、ありがたいことに若い人たちには萌芽がある。この国の文化の底堅さ、力強さに感謝しながら、今度は失敗しないように、僕ができることにはベストを尽くしていきたいと思います。

小川さやか 著
「都市を生きぬくための狡知 タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」(世界思想社 刊)