引用

おっしゃるとおりに

1988年といいますから、まさに今がバブルの絶頂期というところです。

博多での独演会「宿屋の仇討ち」という噺の枕に 柳家小三治師匠がこう語られたそうです。
一部ですが,抜粋させていただきます。

このように交通が発達し尽くしたら、もう早く行くってことは決して自慢になりません。恥ずかしいですね。博多へツッと行って、ツッと帰ってきた。日帰りで仕事を済ましてきた。これは貧乏人の証拠でございます(笑)。
何やら豊かな感じはしません。戦後間もなくから十年、そこらぐらいまででしたよ。「すぐ行ってすぐ帰ってきた」「へーッ! 朝、東京にいて。昼は博多で、夜、東京。ウワー! すごいねぇ」って、これは昔の話しですよ。今、そういう人とはもう、お付き合いしたくないですね(笑)。豊かでないです(笑)。そういう人は疑似豊かです(笑)。本当に豊かな旅は、これからは歩くことなんですね(笑)。
いや,冗談じゃなくて、ほんとうにそうなると思いますよ。だって、そんなに発達し尽くしたら、あとその上願ったってないんですから、戻るしかないじゃないですか。

あはは、
師匠、おっしゃるとおりに
なってきましたね。

引用

サイロ・エフェクト

江戸の洋学者は、西洋から新しい機械が持ち込まれると、まず、その機械を可能な限りバラバラにして部品を理解し、パーツごとに再構築しながら原理を理解し、最終的にもとの機械と同様に組み上げて同じ動作ができるように確認するという段取りで未知の機械を理解していきました。まさに、エンコード(あるデータを符号化すること)からデコード(符号化されたデータを復元すること)というプロセスです。

だいたい、人間が「未知」を理解しようとするとこんな感じで、つまり、理解に分類は不可欠です。

でもね。そのことに囚われてはいけない…

高度に複雑化した社会に対応するため組織が専門家たちの縦割りの「サイロ」になり、その結果 変化に対応できない。その逆説を「サイロ・エフェクト」という。

これは、フィナンシャル・タイムズ紙 アメリカ版編集長 ジリアン・テットさんの著作「サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠」(日本語版 文藝春秋社刊)の帯にある一文です。「サイロ」とは家畜の飼料を貯蔵する円筒形に作った倉庫のこと。あの牧場の風景にあるやるやつです。イメージとしては、そのサイロの中に籠ってしまう感じ…つまり「井の中の蛙」であり、ある意味「壷中の天」なのかもしれません。学会というサイロの中では評価の高い学者さんもサイロの外のことは全く知らない。どこのサイロでもそうだから、どの専門分野でも「部分」のことしかわからなず、現実の社会で専門の研究成果を活かすことができない。学会などに限らず、また、さほど高度でなくても、こういうことは起こりますね。

(自分の経験を現在にアジャストすることができずに息子の就職活動に口を出すお父さんなども、そうかもしれません)

当時の若者博が、自分の「好き」にどんどんのめり込んでいて他に興味を示さない傾向に「タコツボ・コンセプト」って名前をつけたのは報堂生活研究所さんだったかな。これも一種の「サイロ・エフェクト」。つまり、専門家たちだけでなく、分業制な感じの「近代」に暮らす誰もが陥りやすいボトルネック。

サイロ・エフェクト…

しかも「医師免許」は実質「一種類」だから、脳出血キャリア・右麻痺のリハビリの担当医が「麻痺した神経」を病理的に研究していた人で、つまりリハビリのノウハウには無力…と弊害にひねりが加わった感じにもなる。テレビのコメンテーターさんも、経済学者なのに芸能ネタにコメント求められてもいますもんね。

求められているのは、受け手としての僕らの、質的な進化なんでしょうね。テレビのコメンテーターなんだから、十把一絡げに「専門家」っていうんじゃなく、経済学者なんだから芸能ネタには素人って、はっきり認識すべきだし、自分の「守備範囲だけ」ではなく、面倒でも全体を俯瞰できる知識(教養)を持つべきなんでしょう。

そうすれば、ずいぶん視界は明るくなる…逆に言えば今は自分で自分に煙幕を張っちゃってる感じなのかな。

いずれにせよ、自分の脚元を照らすのは自分かな。照らしてくれる人を待つんじゃなくてね。

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不器用なカレー食堂

最近、僕は僕自身を鑑みて、人の人生って、こちらが「何になりたい」と希望するより運否天賦に任せるべきものなのかなと思い始めています。そして、この本を読ませていただいて、ああやっぱりそうなのかなと何やら確信めいた気分になっています。

この本には、鈴木克明さん、有紀さん(この本の共著者)お二人の人生がシンクロする前から描き始められています。それも別々にご本人の回顧録といて書かれている。お二方とも、もともとの人生はインドともカレーともほぼ無縁です。でも、その人生がシンクロし、隣り合ったエノキと桜がくっついて一本の樹になってしまうように一つの像を結んでいく。しかもタイトルにあるように不器用なカレー屋さんです。コンサルタントな専門家が聞いたら、泡吹いて怒っちゃいそうな計画の甘さ、段取りの悪さで、それでもカレー屋さんは「今、話題の」と言われるまでの繁盛店になっていく…

もちろん、ただの「運がいい」ではありません。ずいぶん、ご苦労をされています。立ちっぱなしで18時間労働ということもある。金銭的なことでもずいぶんと苦労をされています。たぶん、真似できることではありません。常人が、彼らを複写するようにカレー店の開業を目指したら、100%失敗するでしょう。

しかも、功利的ではない(逆に、だから苦労を買って出れるんでしょうが)。自分たちの夢を追われてはいるのは事実ですが、その夢はお客さんとのコラボレーションの中にあります。故に、自分たちの「納得」は「料理を提供されるお客さんの存在(満足)」を前提にされているのです。

何よりも、自分がインドで感じた感動をお客さんに真摯に伝えていこうとしている…

たぶん、これからは「いい会社に就職する」より、個人としてお客さんに認められて自立している方が安全だし、そうした生き方を可能にする人が垂涎の的にもなっていくでしょう。

そして、その道を歩み始めようとするとき、この書籍は灯台になるような本です。

苦労はあっても「誰かに伝えたい」という強い思いを感じることができるものと出会うこと。

(故に、冒頭申し上げたように「こちらが何になりたいと希望するより、運否天賦に任せるべきものなのかな」と思い始めているというわけです)

そういう出会いが誰にもあるとは思えないと言われそうですが、見過ごしているだけで、多くの人の中に「出会い」は潜在していることなんだと思います。たぶん出会うほど、僕らは越境せず、小さな殻の中に留まっているのでしょう。犬も歩けば棒に当たる…歩いてみないだけなのかもしれません。

bukiyo_book300就職しないで生きるには21
「不器用なカレー食堂」 

鈴木克明 鈴木有紀 著 
晶文社 刊

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闘わない日本が

特技で円谷英二監督が参加されていますから、そういう意味では特撮映画なのでしょうが、主演はフランキー堺さんと乙羽信子さん(ご夫婦役)、その長女が星由里子さんで、彼女の恋人で若き船員役に宝田明さん、脇を固めるのは、山村聰さん、東野英治郎さん、笠智衆さん、上原謙さん(加山雄三さんのお父さん)などなど、いわゆるオールスターオールスター・キャストで製作された作品です。

「世界大戦争」(東宝)

1961(昭和36)年10月に公開されたこの映画は、東西冷戦の中、ついに両陣営による核戦争が勃発、世界中の大都市、もちろん東京も核の閃光に包まれ、溶解する…という、この作品は「当時」という時代の上に描かれたフォクションです。

大都市から避難しようとする人々の大混乱の中、フランキー堺さん一家は自宅に残り、最後の晩餐を開きます。長女の星由里子さんは、再び長い航海に出た恋人に向け、覚えたてのアマチュア無線で最後のモールス通信を行い、洋上の恋人もそれに応える。「サエコ・サエコ・コウフクダッタネ」「タカノサン・アリガトウ」…。フランキー堺さんは夕陽を前にして二階の物干しから叫びます。「母ちゃんには別荘を建ててやるんだ! 冴子(星由里子さん)には凄い婚礼をさせてやるんだ! 春江(次女)はスチュワーデスになるんだ! 一郎(長男)は大学に行かせてやるんだ! 俺の行けなかった大学に!」

そのあとは、ミサイルの飛来から、東京が真っ赤に溶けていくシーンになり、雨の降り続く中、廃墟が映し出され、世界中のメジャーな都市も東京に続きます。

翌朝、洋上に宝田明さんたちの船は残っていますが、死に至る残留放射能を覚悟のうえで、夜明けの珈琲を飲みながら、全員総意で、東京へ帰ることを決意します。

1961年公開。すでに半世紀以上前の作品が「避難しようとする人々の大混乱の中、自宅に残って、正装で最後の晩餐をする一家」を主人公に据えている…いかにも日本らしい映画だなと思っています。山村聰さんは首相の役ですが、最後まで世界に向けて、病身を押して公務を行い、両陣営の緊張をこれ以上高めまいと懸命の努力を行うといった設定になっています。

結局、東京は真っ赤に溶けていってしまうわけですが、それでも、好戦的にならない日本政府や日本人を描いたのが、当時の日本でした。

さて

当時の人々が、現在のこの国の状況を知ったらどう思うでしょう。
闘わない日本がステキに描かれた時代もあったという…今となってはエピタフのような映画です。

「世界大戦争」(1961年 東宝)
監督 松林宗恵 
脚本 八住利雄/馬淵薫  
音楽 團伊玖磨
出演 フランキー堺/宝田明/乙羽信子/星由里子/山村聡
東野英治郎/笠智衆/上原謙 他

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3月10日から

もし、きょうが昭和20年の3月11日午前4時過ぎだったとしたら、爆撃の終了から2時間とたっていない時刻です。まだ街は火炎地獄だったでしょう。生き残ったみなさんも、まだ焼かれながら逃げ惑い、冷たい川に浸かって必死に気力を振り絞っていた…もちろん、多くの方が、肉親や親友たちの安否を確認できずにいて、手足や、耳、眼を失うような大けが、大火傷をされた方もたくさんいらしたはずです。僕ごときが想像できるような,生易しい状況ではなかった…

やはり、僕らの「想像」では追いつかないと考えた方が良いのでしょう。

僕らにできることは「知る」こと。学校では軍部の暴走みたいなイメージを教えられてきたような記憶がありますが、どうも、そういうことでもないらしい。安部さんのおじいちゃんあたりが中心人物なのかもしれませんが、官僚側にも、どうみても加害者的な人たちがいる…軍幹部というのは、そういう面では上手く利用されていた節もある…どうやら「軍部の暴走」は的外れのようでもあります。

教えられるのを待つのではなく、自分からすすんで知る姿勢を持ち続けること。
大切なのはそのあたりです。

日本軍は、当時の中華民国首都=重慶を3年に渡って、爆撃し続けた、それも無差別爆撃であった…合衆国との開戦前に日本軍によって行われていた重慶爆撃は、恐らく、世界でも最初の組織的な空爆作戦であり、この作戦が後の、連合軍によるドレスデン爆撃や、逆にドイツ軍によるロンドン空襲、そして、日本各地を襲った合衆国軍の空襲、原爆の投下にも繋がっていく…そういう意味では、第二次世界大戦における各国の航空勢力の肥大化にも影響を与えたし,ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク攻撃など、すべての「爆撃」作戦がこの系譜に連なるものであると…この「戦略爆撃の思想 ゲルニカ 重慶 広島」には、そんなことが、丹念な記録の検証とともに綴られています。

宮崎駿さんの「もののけ姫」。あの映画の中で、アシタカは「恨」の気持ちと戦い続けています。タタリ神には、「恨」に身を滅ぼされた、その成れの果てというイメージが重ねてあったようにも思えました。そして、エボシは、世の中に言われない差別された人たちを擁護し、みなの尊敬を集めますが、武器を取って闘う人でもあります。

みな、ある側面からみれば正義の味方です。でも彼らに加害がないとはいえない…
あまりにも重い課題ですですが、僕らは知って、考えなくてはならないのでしょう。
二度と繰り返さないために。二度と巻き込まれないために。

f0006046_19424125戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島 新訂版(かつては上下巻に別れていたようです)

前田 哲男 著
凱風社   刊

引用

暗い夜、星を数えて

彩瀬まるさんの著作「暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出」は、たまたま東北旅行の最中に震災被害に遭われ、まさに危機一髪の状況を、地元のみなさんにあたたかい手を差し伸べられて「生き延びる」ことができた彩瀬さんの体験記です。
東京に帰ってきてからも、いわき市にお住まいの友人を訪ねられたり、がれき整理のボランティアに参加したり、自らの震災体験を基調に、被災地の日常に関わり、その様子を活写していく…

ああ、現場ではこういうことが起こっていたのか
起こっているのか…

僕がイメージしていた「被災地の様子」が、いかに矮小化されたものであったのか。それを思い知らされる一冊になりました。

ああ、まだこんな人がいるだと「あたたかい」気持ちにもなり、また、こんな人がいるのかと例えようもなく「悲しい」気持ちにもなる…この本には、現場ならではのリアリティで、この国の現状がありのままに描写されています(2012年の2月。震災から1年と経たずに出版された本です)。

彩瀬さんは、あの津波の恐怖を「描写しきれなかった」とおしゃっていますが、仮にそうだったとしても僕には貴重な疑似体験でした。たいへん、ありがたく思っています。

「暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出」
彩瀬まる 著 新潮社 刊

引用

夕凪の街 桜の国

「夕凪の街 桜の国 」 これも こうの史代さんの作品です。
2007年に、佐々部清監督、田中麗奈さんと麻生久美子さんの主演。中越典子さん、藤村志保さん、堺正章さんたちの共演で映画化されています。

yuunagi「夕凪の街」は、昭和30年(1955年)当時の広島を、「桜の国(1)」は、昭和62年(1987年)当時の東京郊外を舞台に描かれ、そして「桜の国(2)」は、平成16年(2004年)の東京と広島を結びながら,この3つの短編に連なる物語を完結させていきます。
父と父の姉,そしてその娘と、弟と…。これは、2世代に渡る「姉と弟」の物語であり、同じ遺伝子を受け継ぐ「親子」の物語でもあります。そして、彼らの思いや行動を通じて「被爆の戦後」、その陰影が、静かに、でも切々と訴えられている作品でもあります。
こうのさんのタッチを、僕は古き良き時代の漫画を彷彿とさせる、ちょっとレトロなタッチだと思っていますが、しかし、そのレトロさ故に「家族」という「つながり」が、より鮮明であった時代を明確にしてくれているように思っています。
そして、また、この物語も、軽やかに、ときに笑いを交えて展開され、「普通の人の普通の日常」を描いているのだということを、無意識のうちに理解させてくれるのです。

でも、だからこそ、そこに襲ってくる突然の死と、終わらない原子爆弾の災禍を、より雄弁に語ってくれる…、これも、そんな作品です。

ひどいなあ てっきりわたしは死なずにすんだ人かと思ったのに
ああ 風
夕凪が終わったんかねえ

「夕凪の街」の最後の台詞です。

夕凪の街 桜の国
こうの史代 著  双葉社 刊

引用

林美雄さんのパックインミュージック

読後、この本に書かれている出来事のひとつひとつが、自分に近接的なところで起こったことであったことに改めてびっくりしました。知ってる人がたくさん出てきました。でも、題名にある「1974年のサマークリスマス」の1974(昭和49)年、僕はまだ中二のガキでした。林美雄さんのパックインミュージックも1975年の復活後、マイナーの自由さを失ってからを知るのみです(それでも十分に刺激的でしたが)。

hayashi僕は、無意識のうちに「終わった祭り」の軌跡を追いかけるように少年時代から20歳前後を過ごしていたのだと思います。まだ、自分のライフ・デザインが「街」という像を結んでいなかった頃の話しです。この本には教鞭をとってもらった師匠も登場します。長く仕事を一緒にした人々も登場します。ユーミンの「ルージュの伝言」以降に違和感を持つのも、タモリさんの四カ国語麻雀時代を懐かしく思うのも同じです。

でも、僕は、この本に書かれている出来事の現場を知りません。この出来事を現場で下支えした当時の若者たちは大学生や予備校生。中には高校一年生という方もいらっしゃいましたが、主体となったのは5〜6歳以上も歳上の人たちでしょうか。僕は、彼らに憧れ、フォロワーになろうとしていた中ボウ(中学生)だったのです。
つまり「その現場の熱気」を知る人から「話しには」聞いたことがある…当事者ではなく傍観者でした。

そして、憧れました。

話はすぐにまとまった。
十人が二千円ずつ出せば家賃が払える。どうせ毎日のように誰かと会って飲んでいるのだ。部屋に酒と食材を持ち込めば、外で飲むよりずっと安い。

柳澤 健 著 「1974年のサマークリスマス 林 美雄とパックインミュージックの時代」から

「そのうちに荻窪のアパートを〝荻窪大学〟と呼ぶようになった。略して「荻大」。部屋にはノートが一冊置いてあって、来たら何かを書く。新宿で飲んでいて遅くなって帰れないから泊まりにきたとか、この映画が面白かったとか。荻大に行くと、夜には必ず誰かがやってきて、最近あった話をして盛り上がる。要するにたまり場ができた、ということです。(以下略)」

前掲書 宮崎 朗さんの発言

そして、自分でも、こうした現場をつくってみようと試みました。でも、口伝で伝わる部分を想像で膨らませたような計画は、どこか華奢で、そして雑。いいところばかりを膨らませてしまうところもあります。達成感を得られない状況をずっと引きずっていました。

たんなるフォロワーを少し脱して、自分で考えようとし始めたのはようやくここ数年のことなんだと思います。

年齢も出身地も学校もバラバラで、林パックを熱烈に愛したこと以外には何の共通点も持たない荻大の友人たちとの会話は、とてつもなく面白かった。(前掲書 244頁)

でも「なんの共通点も持たない」「友人たちとの会話は、とてつもなく面白かった」を追い求めていることには変わりがない。だから、アメリカの都市社会学者=クロード・S・フィッシャーのフィールドワーク「友人のあいだで暮らす」を知ったとき「ああ、やっぱりあってたんだ」と思ったし、今も「林パック」にあたる「何か」を探してるんだと思います。

柳澤 健 著 「1974年のサマークリスマス 林 美雄とパックインミュージックの時代」
集英社 刊