パンドラの匣を開けてしまったから

社会システムの利便性を向上させる…つまり僕らの都合に合わせて、さらに「苦労」を滅していくということですが、そういうことを私企業の努力に委ねると(行政が誘導するにしろ)たいていは「行き過ぎ」ということになるのが現状です。
何しろ、欲得づくの収益事業として、それを行うわけですから、大体は暴走…より収益が上がるなら株主はじめ資本家も納得でしょうし、逆に「公に準じて利益を譲歩」なんて彼らがそんな提案に納得するとは思えません。

繰り返しますが、つまり「行き過ぎ」になる可能性が高いわけです。

ご承知のように、政府にしろ、地方自治体にしろ、もう自主財源に乏しく借金だらけ。1990年代から「民間活力の活用=ミンカツ」の奨励という名目で、あらゆる分野の公共事業に「民間の収益事業」を呼び込んできました。

そして、現在は「人出不足を解消するため」の(仕事の)AI化、ロボット化が進んでいます。

無人のレジもすでに社会実験は終わっている段階です。ホテルのルームサービス・ロボも同様です。ホントに「不足を補うだけ」ならいいのですが、たぶん暴走します、行き過ぎてしまいます。

イベントの現場でも、借りてくるレンタル物品の値段より、予算を編成する人を悩ますのは「運んでくる人/設置したり撤去したりする人」の人件費です。飲食店でも、コンビニでも抱えている悩みは同様です。

与えられれば、現場は、喜んで「AI化、ロボット化」を受け入れるでしょう。

オックスフォード大学でAIの研究を行うマイケル・オズボーン准教授は、今後の10〜20年で、アメリカ合衆国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いと予測しました。その中には「銀行の融資担当者」も含まれますが、実際に、我が国の銀行大手も相次いで「店舗を減らす」「人員削減する」を発表しています。
1秒間に500万局面を読む将棋AIに僕らが太刀打ちできるわけはありません。そして彼らは寝ないし、風邪もひかない。休みも要求しないし、電気しか食わないのです。

パンドラの匣を開けてしまったのかなぁと思います。

オズボーン准教授ではないけれど、マニュアル・レーバーやそれに近い仕事を「憶えて、慣れる」という働き方の命は、あと10〜20年と思った方がいいのでしょう。
一方、医療の分野は、大手を振って税金を投入することができるのだから、いたずらに寿命は伸びて「人生=100年」時代です。例えば僕は、今、50歳代の半ばですから、あと10〜20年といっても60歳代〜70歳代です。脳出血のキャリアですが、あと数年で脳出血では死ねなくなると言われています。

障害の残るジジイになって、それから露頭に迷うのは、どう考えても大変です。貯金や資産はインフレで、貯めておいても目減りです。僕ごときがどうあがいても足りないでしょう。

さて…

とにかく考えるしかありません。これからに役立ちそうな資格を探してきて試験勉強をするのではなく、考えるのです。

それしかない。

型通りに店舗を構えてもダメでしょう。お客さんになってくれそうな人をして収入がないかもしれませんからね。

…八方塞がり。

でも、ダーウインの進化論がいう「適応」とはここからなんでしょう。鳥になれた恐竜だけが生き残れた所以です。

政 商

政商(せいしょう)…
辞書には「政府や政治家と結びつき,特権的な利益を得ている商人」と語釈されています。

三菱という企業体を創始した岩崎弥太郎という人はまさに「政商」というイメージにぴったりの人です。まず、彼は、明治の新政府が紙幣貨幣全国統一化に乗り出し、江戸時代に各藩が発行していた藩札を買い上げるということを政府の役人から聞いて知って、当時、すでに紙くず同然の扱いを受けていた藩札を二束三文で大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る…彼はそういう人です。
もちろん、西南戦争でも大儲けしたし、前の大戦でも戦艦武蔵や零戦、雷電など多くの兵器が「三菱製」であることも偶然ではないでしょう。彼らは庶民の支払った税金をかすめ取るように大きな利益を上げ、また庶民の死をもろともしない武器商人として今日の地位を築いてきました。

これはまぎれもない事実です。

小学校から大学までを、三菱財閥の4代目総帥である岩崎小弥太が創立に尽力した成蹊学園で育った安倍さんが権力の中枢に近づくと、全国の高速道路にETCが整備され、そのシステムは三菱重工な感じです。もちろん機器を煽って防衛予算も増額されていますし、東京駅の三菱開発側の「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用地区」として指定…というのも怪しい。これで本来の容積率という規制以上の高層ビルがつくれるわけですからね。で、安倍さんは日本橋を塞ぐ高速道路の地下化は止めてしまった…あっちは三井さんですからね。

今は「三菱」単独というより「看板だけは多様(だがやっぱりコングロマリット)」ですが「原発」も「ロケット」もそんな彼らの独壇場です。

僕は、このままいけば、税金は掠め取られた上に、命まで取られかねないと思っています。

だから、まだリベラあるには遠くても、まずは「三菱系」にご退場いただくことだと思っています。

たぶん、「三菱系」が退場になっても、過去5大会分の開催予算を上回るお金はオリンピックに浪費される…その状況に大きな変化はないのでしょう。でも兵器と原子力は「三菱系」の独壇場ですから、彼らの反対勢力が権力を握ることは悪いことではありません。

ウィンストン・チャーチル卿 曰くの

「選挙とは、今の世の中の現状でロクでもない候補者たちの中から、誰に税金を分配させたら、一番マシかを消去法で選ぶ行為のことだ。要するに、そもそも選挙とは忍耐である」

ということで…

教科書なんてなかったはず

結局、僕は「ただいま」「お帰りなさい」と言い合えるような「場所」をつくりたいんだと思います。コミュニティな壁が高いんじゃなくて、風通しがいいやつ。出入り自由。常連が壁にならないような空間…

一見、難しそうですが、できなかないんです。

何度か、書かせているように僕の母系は、ひいばあちゃんがつくった非血縁家族の大所帯です。でも、そのなかに生まれてみると、非血縁な集合体だなんて思ったことはありません。なにしろ、僕の人生上「最も尊敬する人物のひとり」であるところのひいばあちゃんと僕も血がつながっておらず、しかも、それを知ったのは、ここ最近のことです。

僕だけではありません。昭和3年生まれの叔母(この叔母とも血縁関係にはありません)。で、この叔母がつくづく、うちのひいばあちゃんを、ほんとうに自分のおばあちゃんなんだろうと、ずっとそう思っていたというのです。
うちの冠婚葬祭には、こんな人ばっかりが参加しています。誰とも血がつながってないに等しいような…でも、子どもの頃の僕は、どうして、うちには、こんなにたくさん伯父さん、伯母さんがいるんだろうと、そう思っていたくらいで、他人とは思ったこともないのです。

(でもベタベタはしてないな。永のご無沙汰な人は永のご無沙汰だし、何より社交辞令的な気遣いがないな)

ちなみに、うちのオヤジの病のためにとオフクロが電撃引っ越しをしたマンションの鍵を、前出の叔母はフツウに持っていて、たまに僕が顔を出すと、その叔母だけがいて、お茶を飲んでいたりもしました。で、僕も、お茶を入れてもらったりして、世間話をしたりしている…核家族的なところから考えると違和感のある構図ですが、僕には、ちっとも不思議ではありません。今は、しっかり非血縁だということを知っていますが、そういうことで、こういう関係は変わるもんではないのです。

あかの他人が夫婦になれるのだから、非血縁が家族になるのも可能なんじゃないか。「実際、うちはそうだし」と思います。

(ご町内の全ての人とも親戚ぐらいの距離感だったと思っています)

そして、こういう関係を産み出したのは、命の遣り取りであり、命の貸し借りです。叔父や叔母たちの話しを聞いているとそうです。たぶん、趣味のサークルとか、マンションの管理組合みたいなところからは、こういう関係は生まれません。
でも、幸か不幸か、わが国は、また「命の貸し借り」をしなければ生きていけないような状態になってきました。少なくとも、高度成長期から80年代末のバブルの頃までは、そうしたことをしなくても生きていけたので、わが家のような非血縁家族は生まれなくなったし、廃れてしまったのでしょう。でも時代の状況としては、また、それが必要されるような感じになってきています。

一端、止めちゃいましたから、スーっとはいかないでしょう。でも、再び、そうなることは不可能ではありません。

僕にとっては全て手探りですが、ひいばあちゃんだって、そうだったはずです。
明治の末に女だてらにヨコハマで一人。教科書なんてなかったはずですから。

何はともあれ投票へ

6月21日(2017年)付けのweb版の東京新聞の記事です。

民進党横浜市議の伊藤大貴(ひろたか)さん(39)が二十日、横浜市長選(七月十六日告示)への出馬を表明した。カジノ反対などで主張が一致する共産党は、独自候補の擁立を見送って伊藤さんを支援する意向で、三選を目指す林文子市長(71)に対抗する勢力の結集をうかがう。だが民進内の足並みはそろわず、反カジノでは既に立候補表明している元衆院議員の長島一由(かずよし)さん(50)と伊藤さんの主張が重なり、複雑な構図になっている。 (志村彰太、梅野光春)
 「民進党の推薦はないが自主投票になり、出馬の環境が整った」。伊藤さんは会見で、このタイミングで決断した理由を述べた。
 民進は伊藤さんを支援する旧維新系と、林市長を推す旧民主系の意見がまとまらず、支援団体の連合神奈川は林市長の推薦を決定。下部組織の横浜地域連合は十九日の大会で、「市長選は労働組合の真価が問われる。林さんの勝利に向けて力を結集してほしい」と出席者に呼び掛けた。このため、伊藤さんは組織の後ろ盾なしのスタートになる。
 また元衆院議員の長島さんとはカジノ反対などで主張が重なり、ある共産市議は「野党共闘のためには候補の一本化が必要だ」と話す。だが、長島さんは本紙の取材に対し、出馬の取りやめを否定し、「政策本位の選挙戦で他候補との違いを出す」と話す。
 こうした中、伊藤さんは既存の市民団体の連携などで支持層拡大を急ぐ。共産系の市民団体「市民の市長をつくる会」や市民連合横浜☆ミナカナなど複数の市民団体は伊藤さんを応援すると表明。両団体などは十六日夜の集会で、カジノ反対や横浜市立中学で未実施の給食完全実施など、四項目の政策要望を発表した。
 現職の林市長は自民、公明の両党の推薦のほか、経済界の支援も受けて選挙戦に臨む。自民市議は「どの候補が出ようとも、これまでの林市長の実績を訴える戦い方は変わらない」と話した。

主要候補といわれている3人のうち、現職を除くお二方は「カジノ反対」で一致ですが、誰も「ストップ・新市庁舎」とはおっしゃらない。たぶん、当時の「豊洲移転」にあたるのはこれで、小池さんは果敢にここに突っ込んでいって「小池劇場」の幕を開けたのでしょう。そして、ヨコハマではそういうことは起こらない…ということが、このことに象徴されているのだと思います。以前のエントリーにも書かせていただいたように、だからといって突っ込んでいったら、それなりの抵抗に遭うのでしょうから、しかたがないといえば仕方がないのですが、幕が開かないのも事実です。

何かが変わるぞという期待感が満ち満ちてくることもなく、市民ファーストの会が立ち上がって大勝利みたいなことも起こらないのだと思います。民進党さん、共産党さんのバラバラ感がより鮮明になるだけかな。ひょっとしたら現職がこのままで閉塞感倍増です。

(でも、現職が当選すれば、そこからが不祥事・スキャンダルの暴露大会でしょう。なんで、こんな大ごとが表沙汰にならないんだろうっていう事案がいくつもありますからね)

さて

でもね。超「消去法」的でもいいから、投票には行くべきです。
この難局に自分をして「舵」から手を離すような行動をとると、案外、そうしたことが習い性になって、自分のライフデザインそのものが成り行き任せ、他人任せになってしまいますからね。

「死ぬかも」という局面だと思って、まずは投票所へ。万難を排した方がいいと思います。

(たぶん、横浜市に限らず どこの自治体、国政選挙でも、この国内のことなら局面はそう変わらないと思います)

「食っていけるほどの何か」をつくること

知らず識らずのうちに、僕は
僕の複写機としての性能の優秀さを語り、ただただ消費者としての選択眼を誇って、それが全て…つまり、生産者としての僕の能力に無査証にいるのではないかと
ときどき振り返ってみることにしています。

だって、学校で教わったのは複写の能力と辛抱して組織の一員でいること。マスメディアには賢い消費を促されて、「つくる」ことに教師はいませんでしたから。しかも「賢い消費」とはいえ、それは企業のプロパガンダ。彼らの思惑通りの消費者に仕立てられただけです。中華街の近くで育ちましたが、たぶん「青椒肉絲」という言葉を知ったのはテレビCMの方が先です。

僕は誰? どこまでオリジナル? どこからオリジナル?

冷静に俯瞰して振り返ってみなければ安心できないというわけです。

マニュアル・レーバーの時代は近く音もなく終わります。スーパーのレジだって、知らぬ間に「無人」になりつつあるではないですか。消費者としての僕らが「より安くよりもの」を求めれば労働市場の国際化もさらに激しいものになるでしょう。

僕らは、何がつくれますか。知価(情報)でも、モノでも、「みんなでつくるシステム」に参加するのではなく、「自分で何か、食ってけるほどの何か」をつくることができるかどうか…

そこを、自分に厳しく問うていって あしたがあるのかな。

どんどん平均寿命が伸びていく時代の「1961年生まれ」の僕としてはそう思っています。

永遠のベータ版

Y世代はこの危機に真正面から立ち向かっている。いわばリンクトレインの共同創設者リード・ホフマンの言葉をそのまま実践しているのである。ホフマンは、自分の人生を永遠のベータ版と見なすよう訴えている。ベータ版とは、正式版を発表する前に消費者に試用してもらうためのソフトウエアを指す。ベータ版の試用期間は絶えず内容を改善・発展させていく期間であり、Y世代もそのような生き方に慣れることが要求されテイルということだ。

リヴァ・フロイモビッチ 著/山田美明 訳
「僕たちが親より豊かになるのはもう不可能なのか 各国『若者の絶望』の現場を歩く」より

Y世代でなくとも「永遠のベータ版」は、これからの時代にリアルな心得でしょう。「かくありたい」ではなく「必須」かな。

具体的な準備

苦学している人も少なくないと聞く現在の若者には申し訳なくなるような気分で、最高学府に在籍していた人が大半だったろうと、1961年生まれの僕は思います。世の中はバブルへという時代でした。僕らや僕らの後輩たちは大学といえば「サークル活動」。そこは学府と捉えて、真面目に研究に勤しんだ人など、滅多にいなかったでしょう。

(団塊の世代は大学ロックアウトでろくに講義も受けずに大卒になれたって…)

「末は博士か大臣か」といわれたほどに大学や大学院に値打ちのあった時代に学んでいたみなさんに比較すれば、僕らなどは遊び半分のチャラい学生だったはずです。法学部を卒業したって、法律の専門家というには遠く及ばず、でもまぁ、なんとなく法学士で、それなりに遇されて職に就いている。確かに、その後の職務経験で研鑽を積む人もいるけれど、たいていは仕事の進め方に慣れるだけ。例えば、お役所に勤めて何年かすれば、会議の進め方や市民からのクレームや陳情処理のコツは掴むが、公共政策に見識を高める人は少ない…といった具合(もちろん、例外的に、現場知から専門家も舌を巻く見識をお持ちになる方もいらっしゃいますが)。でも、そのことを咎める人はいません。

赤信号、みんなで渡れば怖くない…といったところ。

今や、世の中のあらゆる職種から真のプロフェショナルは消え、学芸会なのに、それが大歌舞伎のように言われてしまって久しい。吉田茂氏や田中角栄氏と安倍さんを比べてみれば今日、この国がおかれている状況がわかります。

権限を持った素人が、声の大きな素人(クレーマー)に翻弄されながら政策決定している。

政府や自治体だけでなく、東芝などの一流とされる大企業もそうなのでしょう。

安倍さんや官房長官だけが特筆的にあのような力量不足の人というわけではありません。彼らを頂点とする同質の人々は海面の下(つまり市井に)膨大な量を以って存在しています。

だから、問題は深刻だし、短時間での解決の可能性はないのです。

たぶん、幕府が倒壊したときも、前の大戦に敗戦したときも、こんな感じだったのでしょう。
来月は総選挙で、安倍さんたちは大敗するのかもしれませんが、それで、すっきりと状況が好転していくわけではありません。病巣は身体の隅々にまで転移しています。

怖がっていても、そのことによって「來るとき」のショックが和らぐわけではありません。
覚悟と具体的な準備が必要です。

フツウという色眼鏡

「夜の本の虫 久米書店」(BS日テレ 金曜23:30〜)にご出演だった堀江貴文さんからの「受け売り」なんですけれど、確かにSNS等々インターネットが世界中でインフラ化すれば、当然の事ながら、あらゆる側面で「フラット化」です。年齢、性別、どこに生まれたか…そういうことの「別」は急速に溶けてなくなる。実際にモンゴルの大平原からインターネット越しにマサチューセッツ工科大学に入学を許された少年がいましたが、優秀ならば、僕が少年だった頃には考えられないほどにバリアフリーです。

いや

優秀じゃなくても「興味があれば」かな。

アフリカの電気もない村の子どもたちに実験的にパッドを渡して見たら、遊びながら英語を理解し、短時間にハッキングをする子どもまで現れたという…

あんな感じ。

とにかく「速い」。わざわざ図書館に出向いて閲覧カードをめくって資料検索をしていた時代とは、その検索スピードが違いますし、疲れ方も違う。その気があるなら、どんどんいける。逆に言えば、その気がない人はどんどん置いていかれる。秒単位で置いていかれるわけです。

そして、国も超えて、言語も超えて、剥き身のアイディアが勝負です。世界で一番最初に手を上げなければならない。
昭和初期なら、マスメディアでさえ未発達だから、今は一発屋といわれる芸人さんが全国を回って一生喰えたし、タモリさんみたいな人がいれば、全国に彼の偽物(モノマネ芸人さんじゃなく)が出没して、案外、喰っていけたんだそうです。でも今はマスメディアの塗り残しを埋めるようにSNSもあるわけで、タモリさんが一人いれば、彼が供給者となっているジャンルの、ほとんど全ての需要が満たされてしまいます。もちろん、ヨコハマで一番の唄い手だから喰っていけるなんていうのは今は昔の話です。どこで唄っていようが評価はワールドワイドでしょう。小さな離島で唄っていてもグラミー賞が取れるかもしれない可能性が出てきた一方、「5段階評価の4」みたいな唄い手の立つ瀬は急速になくなっていく…

なんとも厳しい時代です。

でもね。未開拓のジャンルもたくさんある。昔みたいにマスメディアで影響力を持つ人々の評価軸に乗らなくたっていい。コンテストで落選を繰り返していても「産直」したら成功することもある…ピコ太郎がいい証拠です。

とにかく「フツウという色眼鏡」を外して、素の自分を観察してみることでしょう。見せ方によっては、すでに「喰えそうな芸」を持っているかもしれません。

自分を信じてみましょうよ。