根 治

根治…辞書には「病気・悪弊などが根本から完全に治ること。また,治すこと」と語釈されています。

当然のことながら、僕が病を得たら、お医者さんには「根治」を望みます。少なくとも、その姿勢を持つことを望みます。でも、最初から「根治」を目指さず、自分に無理せず、できる範囲内で「いかにもやった」ように仕事をすることも可能です。お医者さんに限らず、そうです。

むしろ、それが一般的な就業姿勢のスタンダードかな。「根治」を目指したら、かつての「踊る大捜査線」の青島刑事のように煙たがられるのがオチでしょう。「お前、熱過ぎ」などと言われて職場では村八分というわけです。

そして、生活の力点は趣味やアフター5の時間にかかっている。わが国が労働生産性の低さは先進国中でもワーストな感じである所以です。でも、組織や集団に働いていれば匿名性な森に隠れていればいい。誰が犯人だか、犯人がいるのかさえわからない…

ただね。

だからこそ、企業はAI化を急ぐわけです。労働生産性が低ければ、株主にはせっつかれるし、大義名分も立ちやすい。

とはいえ、遅くとも現在50歳代も半ばの僕が10代の頃から周囲の風潮はこうでしたからね。「だるいよ」「かったるいよ」で、集団的なサボタージュが就業者のレギュラーです。

むしろ、AI化をもっと急いで、ベイシック・インカムの実現を目指した方がいいのかもしれません。

(「趣味」を収入に結びつける道も、もっと広範な参加が可能になるように工夫した方がいいですが、こちらは「千三つ」ですからね)

いずれにせよ。「前の時代」は爛熟期を過ぎて腐りかけているのは事実でしょう。

少数の自ら開拓できる人は別にして、大半の人たちは、誰が「次」を指し示してくれるまで「ジリ貧」の中を座って待っているのだと思います。

この国も、アメリカ合衆国のことを笑っていられる状況じゃぁありませんからね。

四代の物語

平岡家は今でいう加古川市の在…粗末な家に住む貧農だったそうです。
平岡公威、後の三島由紀夫さんの曾祖父=太吉の代になって、彼が禁猟になっていた鶴を射たことから「所払い」になり(つまり、江戸時代の話です)、彼は塩田の人夫になります。そして苦労の末、貸金業で成功する。でも、まぁやっぱり、あこぎな金貸しだったようです。

彼の息子=三島氏の祖父=定太郎は、父上の資金力もあって、今の神戸大学、二松学舎、早稲田大学、東京大学と勉強を重ねてキャリア官僚として内務省に入省します。
これは僕の推測ですが、彼が加古川を離れ、最終的に東京の役所を目指したのは、父親=太吉には「いんぎんな金貸し」というイメージが定着していたということに拠るのではないかと思っています。やっぱり居ずらかったんでしょう…お役人を目指したのも、そうした世間の目があって「公」な出世が欲しかったんだと思います。武家から妻を迎えていることからも、そうした上昇志向が見て取れるように思います。

いずれにせよ、定太郎さんは福島県知事から樺太庁長官になります。しかし、政界がらみというか、政友会のために金をつくってやろうとして無罪にはなったけれど、汚職の嫌疑をかけられ、長官を辞職していますし、当時の中国大陸でアヘンの売買に手を出していたという話しもあります(これも政友会の資金づくりのために)。

そして定太郎の息子、三島さんの父上である梓は、開成中学、二浪して一高から東大。キャリア官僚になりますが、希望の大蔵省に入れなかったせいか「仕事熱心でないこと」で有名だったようです。ただ、息子を官僚にすることには熱心で、文学部志望だった三島氏を法学部志望に変えさせ、実際、彼を大蔵官僚にしまします(もちろん、キャリア)。

この四代の物語をどう読みましょう。

きょうの「ゴロウ・デラックス」(TBSテレビ)でも、ゲストの岩下尚史さんと稲垣さんが三島文学のテーマは、常に「死であった」と語っていらっしゃいました。三島から数えて4代前の太吉は何を思って金貸しになったのか。祖父=定太郎氏は、キャリア官僚なのに、なぜ、危ない橋を渡ってまで政党に資金を提供しようとしたのか。三島氏の父上は、なぜ虚弱な三島氏を無理に大蔵官僚にしようとしたのか…

全ては、太吉が鶴を射なければ、
そして加古川の「世間」が彼を所払いにしなければ、始まらなかった物語なのかもしれません。

僕らは三島由紀夫さんから大きな所産を与えてもらいましたが、彼は幸せだったのかな。

(彼の父上もおじいちゃんも、ひいおじいちゃんも…)

きょうの「ゴロウ・デラックス」を観ながら、ふっと、そんなことを思いました。

そもそもは「ドラムは(電気楽器じゃないから)いいがエレキベースはダメ」という制約があった公立のホール(当時)との交渉役になったのが始まりでした。以来、もう30年近く、お役人とつきあってきて、たまには、まさに「公のため」に心血注いで働く、お役人の鑑のような人に出会うことがあります。でも、そういう人に限って役所の中では変わり者とされ、煙たがられています。つまり、お役所とはそういうところです。

72年めの8月15日へ

一九六〇年代の初期から「敗戦国」ドイツでは、ドイツ人の戦争責任と加害責任の問題が若い世代では深刻に論じられていた。しかし「終戦国」日本の場合、ドイツとはかなり事情が異なっている。悪いのは東条英機などの軍国主義者で、われわれは騙されて戦争に狩りだされた被害者だという欺瞞的な自己合理化が、国民規模で成立していたからだ。

笠井 潔 著 「8・15と3・11 戦後史の死角」(NHK出版)より

僕の記憶では、ドイツの場合、学校教育の場でも「ドイツ人の戦争責任と加害責任」を考えるということが正規のカリキュラムに取り入れられて、時間をかけて教師と生徒たちが真剣に討議していたという印象があります(若い頃、まだ壁があったベルリンを中心にしばしばドイツに通っていました)。

僕らの国では、ゴマかして逃げてきたんでしょうね。だから「敗戦記念日」じゃなくて「終戦記念日」、悪い意味でデザインされた戦後です。でも、それ故に、安倍さんがいう「戦後レジームからの脱却」とは、全く別の角度から戦後を始め直すべき必要があるのでしょう。

(戦後が始まってすぐ、まだ「敗戦」の色が濃かった時代に生まれている先輩方にしても、ベトナムでの戦争以上に前の大戦に興味を持たれる方は少ないですもんね)

たぶん、そこから始めないと、この国のホントウの21世紀は始まらないのでしょう。

もうすぐ 72年目の8月15日です。

気の毒だなぁとは思いますけれど

これはまだ、仮説も仮設、ド仮説だけれど…たぶん
しがらみも養っていかなければならい家族もいないのに、今、こんな時代にあって、ごくごく一般的な会社員や公務員として就職を考えている若者がいるとしたら、もうそれだけで、彼らの将来は暗澹としたものなのではないか…

最近、そう思うようになりました。

大学生でも、オール4的な優秀さを持つ子ほど、学校の勉強はそこそこできても、街で遊んだ経験はおろか、読書量も極端に少なく、もちろん知識もない。街場の高校で80点は取れたかもしれないけれど、素数が身についているわけでもなく、かといって世情にも疎い、アートやデザインについての知識もほとんどない…

できることは課題をこなすこと。それも検索エンジンを当たってコピペすることしかできない。創造性や独創性は皆無なのです。コミュニケーション能力も高くはなく、あったとしても均質なクラスメイトのLINEの中に閉じたもの…薄皮一枚外側の「異質」とは上手くやっていくことができないのです。

彼らがAIに勝てるわけがない。

彼らは大学と高校の勉強の質的な違いもよく解ってはおらず、それ故に会社も課題を出してくれるものと思っているでしょう(それが「課題」という名称では呼ばれないと思っているだけで)。

もちろん、興味深い子はいます。でも、いても5%未満でしょう。
ただ、その5%とAIで生産活動が可能になってしまうのがこれからです。いわゆるスマート農業になると、その「農業」でさえ数人でまかなえるようになるし、現在の農業技術でも数人の家族や仲間だけで食っていくレベルが確保できる「核農家」が成立し始めているのが現状です。

近く、これまで一般的だった会社員や公務員という働き方は絶滅するでしょう。

そのとき、彼らはどうするのかな。そのときになって脱サラを目指しても、やっぱり見本を探して、それをコピーしようとしちゃうのかな。それならAIにはかなわないのだけれど…

でも、これから、自分の中に根付いてしまった学習態度みたいなものをアジャストしていくのはなかなか難しいでしょう。
気の毒だなぁとは思いますけれど…

お役所

ダメになるのは、ひとつに役所でしょう。人材不足だし、組織力は低下しているし、彼らは空間に縛られている。

空間に縛られるとは、自治体でいえば自治体と自治体の「境界」を超えては何もできないということだし「国」でいえば「国境」がそうです。例えば、日本語で書かれた違法ポルノ・サイトが、合衆国に国籍を持つ人によって運営され、ヨーロッパの国のどこかに都市にあったらどうするか。どう見ても「日本向け」なのに、それ、日本の警察が取り締まれますか…とか。実際に欧州のいくつかの国では、こうしたことが「人材派遣」で起こり、たとえば、危険な仕事を廉価で引き受けさせられた労働者がイタリアの現場で重傷を負っても、人材派遣会社はエストニアにあるので、満足な保証が受けられなくても、イタリアの政府はお為ごかしな対応しかできない。逆にいえば「国境」があるためにそういうことが正当化されてしまうという現実があります。
僕らはとっくに自治体と自治体の「境界」を超えて生活しています。ベッドタウンに暮らしてるということはそういうことでしょう。SNSを利用すれば簡単に国境を越えることができます。それなのに役所は境界の外に出てこないし、出てこようともしません。

そして、そのお役所が今は借金だらけ。「現代」という時代にそもそも適応した構造を持っていないのに、さらに(冒頭申し上げたように)人材不足だし、組織力は低下している。

税金は、これまでに支払った分も、これから支払う分もその大半が捨て扶持みたいなもんなんでしょう。でも、そのあたりをなんとかしようと悪戦苦闘するうちに世の中は暗転してしまう。それこそ「捨て扶持」だと思って諦めて、自分なりに来るべき時代に備えた方がいいのでしょう。頑張れば「オリンピック返上」には漕ぎ付けるかもしれませんが、それはそれで経済はガタガタ、国際的な信用も地に落ちて、引くも地獄、進むも地獄。そして、オリンピックは返上できても、お役人を返上できるわけじゃぁありませんからね。

僕は室町幕府を諦めて戦国時代を始めるしかないと思っています。

次の「惣無事令」が出るまでにどれくらいの時間がかかるのかはわかりませんが、それまで頼りになる役所はなく、さらにセルフ・サービスを余儀なくされるんだから「その準備を」等のが僕の考えです。

極端な話し、僕は「ゴミ捨て、どうしよう」などと考えたりしています。まずは回収業者さんに当たって、どのくらいの量をまとめれば引き取ってもらえるのか、その分量はご近所さん何世帯をまとめればまとまるのか…などと散歩の間に考え…一応、すでに業者さんの目星はつけてあります。

そのくらい僕はお役所を信用していません。とにかく、お役人の仕事は「やれないことを正当化する理由を考えること」が仕事、そういうことしか上手じゃないのです。

あの時、国費を散々使ってたくさん兵器をつくって、そのほとんどを破壊され敗戦し、でも、それを造ったメーカーは戦後数年で復活して今日に至るという…

また、そういうことが起こります。戦時国債がパアになったようなことも起こります。

忘れようとも、見ないふりをしても、現実になります。僕らは手探りでも戦国時代の始まりに備えるしかないのです。

座して死を待ちますか

現職の林文子市長は官房長官の傀儡であり、横浜市のお役人の木偶でしょう。立派な経歴もクルマのセールスウーマンとしてのそれであり、そのマネージャーたる経験と役職に拠るもの。何冊かの著作をお持ちですが、公共政策についての知識を豊富にお持ちの方とは思えませんし、お役人と渡り合ってきた経験は横浜市長になるまで皆無。たぶん、お役人が実質を仕切って、そのお飾りになっているのでしょう。それ故に、小池さんに、オリンピックのバレーボール会場誘致の際に「お立場がある」と同情され、森さんに「横浜市のお役人としては歓迎しない」と直接、書類を回されちゃうのでしょう。

先頃、立候補を表明されましたが、その前にヨコハマで「林文子を推薦する会」を主催されたのは官房長官でした(官房長官は横浜市役所の人事を掌握しているといわれています)。

一方、すでに立候補を表明している長島一由さんは元衆議院議員で元逗子市長ですが、元フジテレビの記者さんでディレクター。最近、大学院に学ばれていたようですが、それも映像研究科映画専攻。こちらも何冊かの著作をお持ちですが、ビジネスなサクセス・ストーリーな感じで、愚直な福祉の人という感じはしません。特技はウィンド・サーフィンだそうです。
逗子市時代の実績も「市井の透明化」「効率化」を強調され、衆議院議員時代は「仕分け人」だったと述べられています。具体的な公共政策(例えば保育施設を増設したとか)についての報告はありません。しかも、経歴からして伏魔殿な政令指定都市のお役人をマネージメンとしていく能力に実績があるとはいえません。

かのウィンストン・チャーチル卿の格言を思い出します。

「選挙に出たいやつなんて『ろくでなし』しかいない。金儲けしたい奴か目立ちたがりばかり。まっとうに生きている奴は選挙になんか出ない」

たぶん、どちらが市長さんになられても、ヨコハマの命運は尽きているのでしょう。

でも、誰も適任者がいないから棄権ではなく、よりダメじゃない方を選んで選挙には行くべきなんでしょう。傀儡で木偶を選ぶのか。ナルシストなコスト・カッターを選ぶのか。たぶん、どちらを選んでも福祉はダメです。長島一由さんは小さい者に優しくないし、感動ポルノな感じもあります。林さんはもともとクルマのセールス・ウーマン、公共政策については「術語、用語」からして不安でしょう。

さて、もう一つ、ウィンストン・チャーチル卿の格言を

「選挙とは、今の世の中の現状でロクでもない候補者たちの中から、誰に税金を分配させたら、一番マシかを消去法で選ぶ行為のことだ。要するに、そもそも選挙とは忍耐である」

投票には行かなきゃダメだ。投票率が低いままだと、ずっと実像は「少数」なのに、それが「多数」を代表しているような顔をして独裁を貫くことができる。
横浜市長選挙だって前回の投票率は29%強。横浜市民の7割が無視した市長が権力者とお役人の言いなりで、税金を使い放題だし、都市計画の決定もできる…僕らは、僕らの税金で豪華な横浜市役所を造り、この街の都心を空洞化させる…そんな間抜けな結果を生む。

座して死を待ちますか っていう話しでもあります。

消去法でも十分。さぁ、この夏は投票に行きましょう。

みなとのみらい

そもそも借金だらけで、5年くらいの間に次々と「団塊の世代」が後期高齢者入りする中、医療やリハビリ、高齢者福祉などの分野で一気に出費が増大。それに対して、東京との交通連関が悪い南部、西部を中心に少子高齢化で住民税収入は現象。南部、西部には、案外、重厚長大産業の工場があるから、その撤退から、住民の失業や就業対策もしていかなくてはならないかもしれない…そんな横浜市。あらゆるジャンルで、その市役所の下請けのようになってしまっている地域企業は淘汰の波にさらされる。多くは保たない。つまり、旧都心は経済力としても、就業場所としてもさらに地盤沈下、底なし沼へ。

それが近未来の横浜市。

金沢の臨海部や戸塚駅周辺、新本牧など「これままで」の再開発事業は失敗。すでにキーテナントの撤退や、再開発建物の空きビル化、空洞化が始まっており、相鉄線の渋谷に向かっての延伸はオリンピックに間に合わないし、日吉や綱島の再開発事業は、これからの高層化、少子化なのに…
南部、西部にも「これから」の再開発事業の計画はあるけれど、交通網や道路の整備、インフラがよいわけでもなく、広大な再開発地を埋めるほどの人がどこからやってくるのか。東京でだって大型の再開発事業は進められている。

みなとみらいだって、いつまで現況のポテンシャルを保てるのか。

都筑区、青葉区、港北区、緑区に住んで、わざわざ消費意欲を掻き立てられれない横浜駅周辺に彼らが出てくるわけもなく、もともと旧都心と南部、西部の消費者に支えられている大消費地=横浜駅周辺は沈没。現在進められている横浜駅西口はあらかじめ空きビルを造っているようなもの。高島屋さんだって撤退しないとも限らないし、テナントであるところの横浜そごうさんやベイクォーターさん、あるいは丸井さんなのど東口勢にはさらに「撤退」の可能性が高い。

横浜都民と呼ばれる東京都内(川崎市内)への就業者、就業者、その家族の含有率が高い都筑区、青葉区、港北区、緑区だけがポテンシャルを落としながらもなんとか生き残って(まだ、住民、南部や西部に比べれば若いしね)、それ以外はとんでもないことになるのでは。そして、横浜市はゴミ収集やちょっとした道路の補修にも難渋するようになり、しかも、税金は横浜市民として徴収されるわけだから、調子がいい行政区の住民には不満が溜まる。それを補えるほどの成長企業を抱えているわけでもなし…

室町幕府がダッチロールを始めて戦国時代に突入したような、横浜市はあんな感じになるのかな。

そして、これにハイパーインフレが重なる可能性もある…

ペイオフを担保する預金保険機構の資金プールは、わずかに2.3兆円ほど。「銀行が破綻しても1000万円までは保障」なんて不可能でしょう。なまじの準備では乗り切ることのできない近未来です。しかも数年から、遅くとも10年後には戦国時代になっているはず。その時、僕は50代後半か、60代も半ばです。
大手を振って税金が投入できる医療の分野だけは進歩して、その頃には、現状以上になかなか死ねなくなっているのでしょう。

誰もが経験していない時代ゆえに「準備」を教えてくれる先生はいません。自分で考えては実験を繰り返すしかありません。

でも、それしかないんです。