やさしい“ものづくり”

日本の「ものづくり」の強さは
たんに、その技術力の高さに拠るものではないのかもしれません。

こんなにも、素材を敬い、慈しんで「ものづくり」をする国民性は稀有なものだろうし、自分のつくりだした製品を使う名もないユーザーのことを思い、愛情を注いで「ものづくり」をする気持ちを持っている技能職がたくさんいらっしゃることも日本の「ものづくり」の特長でしょう。

近代以降、特に前の大戦に敗北してからは、合衆国の文化が怒濤のように流れ込んできて単純に「自己実現」やビジネスのために「ものづくり」する人がたくさん現れて「やさしい“ものづくり”」の伝統はどこかに押し流されたようでしたしマスコミはじめ、世論も、そうしたことを評価しなくなっていました。

そして、今も世論はその系譜にあり「やさしい“ものづくり”」が正当に評価されていない状況は続いています。

でも、その一方で、誰が教えたわけでもないのに少数ながら 若い人の中に「やさしい“ものづくり”」は復権しています。

もちろん少数派ではあっても、以前から「やさしい“ものづくり”」は継承されてきてはいました。でも「少数派」であるが故に、大多数に影響を与えることもできず、一時は絶滅の危機に瀕していました。しかしながら、鳥が運んだ種が何千キロも離れた島で発芽するように、現在の世論とは、ほとんど結びつかないところから「やさしい“ものづくり”」が復権しているように思います。

不思議だなーと思うのですが、そういう人たちが日本のあちこちの技能の現場にいらっしゃいます。
東京にも、地方の町でも、大勢いらっしゃるわけではありませんが、必ず誰かは真剣な眼差しで技能に向き合っていらっしゃるのです。

そんなことから、アメリカナイズした時代というのは「はしか」みたいなもんで、この国の自然治癒力自体は衰えていなかったということなのかなと思ったりします。

僕には理論的な解説はまだ不可能ですが、ただただ、この幸運にはひたすら感謝したいと思っています。

心から、そう思います。

ビル農場

空きビルだらけになったら空きビルだらけになったで、それを壊して更地にして、オリンピック前なら「ホテル」とか、ホラ話しがバレないうちはタワーマンションとか、そういうビジネスを描いて投資を募って金儲けのタネにされちゃうんでしょうが、リアルに即した「これから」のために利することをするなら

都心では「農業」なんだろうな。

屋上農業で、1リットルのペットボトルを半分に切ったみたいな容器を利用したとして、ちょうど茶碗1杯ほどの米が収穫できるそうです。そういうアウトドアな農業だけでなく、水耕栽培な農業ならインドアでも可能だそうで、ビル農場も不可能ではないなと思います。ほとんど使用されていないコイン駐車場ではドラム缶農業も可能です。これについては、すでにソ連が崩壊して窮地に陥ったキューバでの成功事例があります。日本の気候なりに不空すれば実現の可能性は充分でしょう。

そうすれば、新しい就業の場にもなるかもしれないし、今は貧弱な食料自給に道を拓くこともできるのかもしれません。少なくとも、傷は浅くて済む…

でも「ビジネスから」なんだろうな。

たぶん、バブルがはじけて、都心がホントに廃墟になってビジネスが描けなくなってからでしょう。

仕方ないですね。「後悔先に立たず」からしか始められないのが人間です。

地磁気逆転

仕事に行く、つまり「お金を稼ぐ」処は「都心」で、その稼いだお金を消費する(デパートで買い物をする/食事をする、映画を見るとか)のも「都心」。そんな感じが「これまで」でした。

でもね。

集団生産なマニュアル・レーバーと違って、知価(情報)生産は、郊外の住宅地に居ながらでもお金を稼ぐことができるし、金太郎飴みたいな再開発地より「緑」という表情を持つ郊外の方が、知価(情報)生産に適した「時間」が得やすいし、そこに個人店が集積していれば、スタッフの入れ替わりが激しい再開発地の店舗は、知価(情報)生産にとって、ほぼ無価値です。
そもそも再開発によって地価を上昇させてしまった都心には、刺激が受けられるような個人店の出店は難しく、郊外とまではいえないにしても都心を外れた場末に集まりやすく、その街はたいていが威圧感のない低層な街です。

「みんな」でいる安心感を優先し、ある種の「お作法」を強要されても「マジョリティ」が集まっていそうな場所に安心する。そういう人々は巨大な建築物に彩られた空間を好むし、メジャーに話題になっているエンターテイメントを追体験することを希求するようです。

でも、そういう人は故に、集団生産なマニュアル・レーバーにこそ適している。つまり工業生産時代の人です。

だからこそ、かつての都心の役割を、これからの時代は「郊外」が担うようになるのかもしれません。

いい悪いは別にして、たぶん会社に行かなくても済む人が、より稼ぐようになるのでしょう。知価(情報)生産者にしても情報としての「本」ならアマゾンの宅配だし、刺激を受けるために通う本屋さんは都心にはありません(都心が寂れてしまった後なら別ですが)。

少なくとも「都心」は、お金を稼ぎだす処ではなくなるんだろうな。

地球の南北は、過去360万年の間に11回は逆転し、最後の磁気逆転の時期は約77万年前とされているそうです。僕らにも不動のものに思える「南北」がくるっと回転して逆転してしまうこともある(=地磁気逆転)…

僕は、近く、都心と郊外の間に、そんな変化が起こるような気がしてなりません。

ただ、「都心が働く場所で郊外が住む場所」が「郊外が働く場所で都心が住む場所」という変化ではなく、知価(情報)生産な人は「郊外」に、マニュアル・レーバーで集団生産な人は「都心」にという変化で、「地磁気逆転」的な変化は「お金を稼ぐ」ということに関して起こるのでしょう。

故に横浜市がまず明確にすべきはミナトから郊外へのパラダイム・シフトかな。もう重厚長大産業が主役でもなく、役所には土建が群がるほどのお金もありません(70年代後半からの長い年月に渡って、すでに食い尽くしてしまいました)からデカい建物もつくれませんし…

話題のappleが港北区に進出というだけでなく、知価(情報)生産な優良企業がいくつも進出しているのが都筑・青葉・港北・緑などの北部四区。

もう 自然に水の流れは川になりはじめているわけですから。

真剣な検討課題

人件費が高騰してくればマスな工業の生産現場は海外に流出し、流出した工業生産が海外の発展途上国を富ませれば、その国でも人件費は高騰し、また教育水準も上がるから、僕らの労働市場は単純なマニュアル・レーバーだけでなく、全般に渡って国際的な競争に晒されるようになる…

好むと好まざるとにかかわらず、「今まで」な就労を続けていくのは困難…なわけです。

でも、これが自然な流れです。意図的に「こうしたい」と願った人は誰もいないわけですが、良かれと思ってやったことが招いた弊害。誰だってお給料は上がった方がいいと思うでしょうし、純粋に政府や会社の誘導に従っただけです。

でもね。

わが国が人件費が高い1億人の工場なら、インドは、わが国よりはるかに人件費の安い13億人規模の工場です。勝ち目はありません。

しかも、彼らの政府は福祉政策に無頓着に来たので、国民の海外流出は古くから続き、彼らはすでに華僑のような印僑ともいわれる国際的なネットワークを持ち、労働市場の国際化にもある程度の耐性を持っています。こんな時代になればそれも強みでしょう。

さて、僕ら。

政府にトランプさんのような政策を要求しても無駄でしょう。これからのアメリカ合衆国を見ていれば判ると思います。なにしろ「マスな工業の生産現場は海外に流出し、労働市場は単純なマニュアル・レーバーだけでなく、全般に渡って国際的な競争に晒されるようになる」で生成りなのです。

まずできることは知価(情報)生産力のある、その可能性のある個人という芽を摘んでしまわないことでしょう。彼らにまで「フツウ」を強要すれば、この国は将来を見失います。

そして「これまで」を支え、でも「これから」への転換が効かない多くの人々の「暮らし」をどうしていくのか、国家の課題として真剣に回答を出していくことです。

税金で大規模な建築物や土木工事の発注を出すことで多くの人々に就業の場を提供する時代ではなくなりました。こうした施策は知価(情報)生産力を育てるわけでもなく、労働市場の国際化抑止にも無力です。

ベイシック・インカム 真剣な検討課題です。もしかしたら安寧の礎なのかもしれません。

引用

おっしゃるとおりに

1988年といいますから、まさに今がバブルの絶頂期というところです。

博多での独演会「宿屋の仇討ち」という噺の枕に 柳家小三治師匠がこう語られたそうです。
一部ですが,抜粋させていただきます。

このように交通が発達し尽くしたら、もう早く行くってことは決して自慢になりません。恥ずかしいですね。博多へツッと行って、ツッと帰ってきた。日帰りで仕事を済ましてきた。これは貧乏人の証拠でございます(笑)。
何やら豊かな感じはしません。戦後間もなくから十年、そこらぐらいまででしたよ。「すぐ行ってすぐ帰ってきた」「へーッ! 朝、東京にいて。昼は博多で、夜、東京。ウワー! すごいねぇ」って、これは昔の話しですよ。今、そういう人とはもう、お付き合いしたくないですね(笑)。豊かでないです(笑)。そういう人は疑似豊かです(笑)。本当に豊かな旅は、これからは歩くことなんですね(笑)。
いや,冗談じゃなくて、ほんとうにそうなると思いますよ。だって、そんなに発達し尽くしたら、あとその上願ったってないんですから、戻るしかないじゃないですか。

あはは、
師匠、おっしゃるとおりに
なってきましたね。

文化は残る

国家とは無縁の風土としての「日本」が育んだ文化。これは、この国の風土と切り離すことができない。経済の有り様によって国内にスポンサーを失うことはあっても「文化」そのもの命脈が断たれることは稀であるといえます(ただし、長く続く戦乱はそれを断つこともあります)。

16世紀以降を大きな内乱もなく過ごしてきたわが国は、ロウカルチャー、つまり庶民的な生活文化に世界に冠たる「豊かさ」を持っています。

これがビジネスという規模で経済成長を支えるものになるとは思えませんが、庶民たる個々人の生活の糧になる可能性は大いにあります。

ヘア・デザイン、珈琲の焙煎、フランス菓子などなど、いわゆる「日本文化」として僕らがイメージする浮世絵や茶道や能楽、歌舞伎などより、舶来から日本化し海外からは色濃く「日本らしい美学」を投影するものとして評価されるものにこそ、庶民にとっては「活路」になるでしょう。

個々人として、何らかの芸を磨き、インターネットなども駆使して海外にも市場を拓く…

世界に打って出れるのは「ラーメン」だけではありません。もっと広範に未開拓の分野がたくさんあります。だから、どこの会社に希望を見出すのかではなく、自分の中にある「日本性」にこそ注目すべきなのです。

この方向に舟を出せば、必ず海路の日和があるはずです。

引用

不器用なカレー食堂

最近、僕は僕自身を鑑みて、人の人生って、こちらが「何になりたい」と希望するより運否天賦に任せるべきものなのかなと思い始めています。そして、この本を読ませていただいて、ああやっぱりそうなのかなと何やら確信めいた気分になっています。

この本には、鈴木克明さん、有紀さん(この本の共著者)お二人の人生がシンクロする前から描き始められています。それも別々にご本人の回顧録といて書かれている。お二方とも、もともとの人生はインドともカレーともほぼ無縁です。でも、その人生がシンクロし、隣り合ったエノキと桜がくっついて一本の樹になってしまうように一つの像を結んでいく。しかもタイトルにあるように不器用なカレー屋さんです。コンサルタントな専門家が聞いたら、泡吹いて怒っちゃいそうな計画の甘さ、段取りの悪さで、それでもカレー屋さんは「今、話題の」と言われるまでの繁盛店になっていく…

もちろん、ただの「運がいい」ではありません。ずいぶん、ご苦労をされています。立ちっぱなしで18時間労働ということもある。金銭的なことでもずいぶんと苦労をされています。たぶん、真似できることではありません。常人が、彼らを複写するようにカレー店の開業を目指したら、100%失敗するでしょう。

しかも、功利的ではない(逆に、だから苦労を買って出れるんでしょうが)。自分たちの夢を追われてはいるのは事実ですが、その夢はお客さんとのコラボレーションの中にあります。故に、自分たちの「納得」は「料理を提供されるお客さんの存在(満足)」を前提にされているのです。

何よりも、自分がインドで感じた感動をお客さんに真摯に伝えていこうとしている…

たぶん、これからは「いい会社に就職する」より、個人としてお客さんに認められて自立している方が安全だし、そうした生き方を可能にする人が垂涎の的にもなっていくでしょう。

そして、その道を歩み始めようとするとき、この書籍は灯台になるような本です。

苦労はあっても「誰かに伝えたい」という強い思いを感じることができるものと出会うこと。

(故に、冒頭申し上げたように「こちらが何になりたいと希望するより、運否天賦に任せるべきものなのかな」と思い始めているというわけです)

そういう出会いが誰にもあるとは思えないと言われそうですが、見過ごしているだけで、多くの人の中に「出会い」は潜在していることなんだと思います。たぶん出会うほど、僕らは越境せず、小さな殻の中に留まっているのでしょう。犬も歩けば棒に当たる…歩いてみないだけなのかもしれません。

bukiyo_book300就職しないで生きるには21
「不器用なカレー食堂」 

鈴木克明 鈴木有紀 著 
晶文社 刊

裁判の傍聴とプロレス観戦が趣味

ひいばあちゃんは まず、どんなことなら商売になりそうか、食っていけるかを考えて、その中から自分のやりたいこと、できそうなことを見つけてで食べていくという、そんな考え方の人でした。
会社に就職するということは念頭になく、そんなことをしたら、他人様に人生を握られてしまうし、儲けの美味しいところは持っていかれてしまう…そう考えていましたから、あくまでも自営がスタンダードでした。
「老後」の設計も「自前」で、足腰立たなくなるんだから「タバコ屋とアパート」というのが持論。国民皆年金・皆保険も、ひいばあちゃんが高齢に達してから実現された制度でした。

こうだと思ったら何が何でも実現する人でした。「そりやぁ、無理だろ」は彼女の辞書にはありませんでした。進駐軍との交渉に英語が必要なら、それを短期間のうちに「商談」レベルにまで上達させました。

彼女は、いわゆる「無学」です。小学校も出ているのかいないのか…その程度。でも、知識豊富・判断力的確。ご隠居になった彼女のもとには何人もの政治家も相談に訪れていました。

裁判の傍聴とプロレス観戦が趣味。

これからの時代、このひいばあちゃんのレガシーに、僕はさらに感謝の気持ちを深めていくでしょう。