やさしい“ものづくり”

日本の「ものづくり」の強さは
たんに、その技術力の高さに拠るものではないのかもしれません。

こんなにも、素材を敬い、慈しんで「ものづくり」をする国民性は稀有なものだろうし、自分のつくりだした製品を使う名もないユーザーのことを思い、愛情を注いで「ものづくり」をする気持ちを持っている技能職がたくさんいらっしゃることも日本の「ものづくり」の特長でしょう。

近代以降、特に前の大戦に敗北してからは、合衆国の文化が怒濤のように流れ込んできて単純に「自己実現」やビジネスのために「ものづくり」する人がたくさん現れて「やさしい“ものづくり”」の伝統はどこかに押し流されたようでしたしマスコミはじめ、世論も、そうしたことを評価しなくなっていました。

そして、今も世論はその系譜にあり「やさしい“ものづくり”」が正当に評価されていない状況は続いています。

でも、その一方で、誰が教えたわけでもないのに少数ながら 若い人の中に「やさしい“ものづくり”」は復権しています。

もちろん少数派ではあっても、以前から「やさしい“ものづくり”」は継承されてきてはいました。でも「少数派」であるが故に、大多数に影響を与えることもできず、一時は絶滅の危機に瀕していました。しかしながら、鳥が運んだ種が何千キロも離れた島で発芽するように、現在の世論とは、ほとんど結びつかないところから「やさしい“ものづくり”」が復権しているように思います。

不思議だなーと思うのですが、そういう人たちが日本のあちこちの技能の現場にいらっしゃいます。
東京にも、地方の町でも、大勢いらっしゃるわけではありませんが、必ず誰かは真剣な眼差しで技能に向き合っていらっしゃるのです。

そんなことから、アメリカナイズした時代というのは「はしか」みたいなもんで、この国の自然治癒力自体は衰えていなかったということなのかなと思ったりします。

僕には理論的な解説はまだ不可能ですが、ただただ、この幸運にはひたすら感謝したいと思っています。

心から、そう思います。

これからは

観察眼って、観察対象に対しての興味だし、その興味も「慈愛」から始まったものの方が「ものづくり」などにはいい結果をもたらすんだと思います。

だから「やさしい」から始まった方がいい…

もちろん、野菜や花などは尚のこと。お酒やチーズなんかもそうでしょう。
工業生産時代は、何でもかんでも「技術」っていう切り口から語られがちでしたが、「質」が問われはじめると、肝心なのは、つくる人の心持ちです。
慈愛を持った視点から見ればこそ、見逃さない変化もある…

これからは、こういうことが大切かな。

手で細工できる技

文化を徹底して、カラダで身につけること。それが逃げるひとつの道である。
とはいっても軍事教練なものではありません。むしろ、明治時代以降に形づくられたきちんとした「日本」というイメージは、むしろ、日本らしくないものです。

職人の親方はガンコかもしれないけれど、寺内貫太郎さんみたいに優しい人…
「カラダで身につける」とは「座学で勉強して記憶している情報量を増やす」だけで終わるな、ちゃんと「手で細工できる技を持て」という意味でしょう。

カラダで身につけること

文化を徹底して、カラダで身につけること。それが逃げるひとつの道である

これは堀井 憲一郎さんの著作「若者殺しの時代」(講談社現代新書)、その結びに近いところにある言葉です。

僕は、目上の人にも、年下の方にも、ほぼストレートにものを言いますから「この野郎、憎たらしいな」と思っている方も、きっとたくさんいらっしゃるのだとおもいます。
それでも、何とか仕事をいただいていけて食べていけているのは、何らか、僕に「芸」があるからなんだと思います。逆に言えば、その「何らかの芸」が通用しなくなれば、あっさりと僕は、世の中からスポイルされてしまうと、思っています。

…確か、志ん生師匠が、三平師匠の真打ち披露の口上の中で「芸人は、籠の鳥といっしょ。お客様に餌を貰って生きている。高座に上がっているときは、なんだか一段高いところに偉そうにしているけれど、つまらないから、もうお前はいらないといわれれば、それまでのもの」というようなことをおっしゃっていらっしゃったと思うのですが、自分を顧みて、僕もつくづく、そういう存在なんだろうなと思っています。

ただ、その危うさと引き換えに、恐らくは、この世の中で、最も気楽で自由に生きていられるフリーランスな生き方を続けることができている。幸いなことに奥さんも、つきあって、芸人の女房をやってくれていますから、これは、本当に幸せなことだと思います。

堀井さんのおっしゃている「文化を徹底して、カラダで身につけること」で「逃げる」は、たぶん、僕の持つ「芸人感覚」と異色同源のことでしょう。AI(人工知能)が発達した時代だからこそ、頭だけではなく手を動かせることが求められます。かつて田中角栄氏は「コンピュータ付きのブルドーザー」と評されましたが、現場とデスクの両方に精通していることが求められてくるのでしょう。

そして、現場で求められるのは理屈ではなく皮膚感覚です。

堀井さんは「外へ逃げると捕まるなら、だったら思い切って逆に逃げるのってのはどうだろう。内側に逃げるのだ」と言い、その「内側に逃げる」を「日本古来の文化を身につける、ということなんだけど」とおっしゃっています。
都々逸、古武道、落語、刀鍛冶、酒杜氏、左官…美容師やラーメン職人なんかでもいいし、探せばもっとあるだろうともおっしゃっています。
つまり、「見るからに日本文化」でも「下地には日本文化」でも、ようは、誰にでも備わっているはずの「資産」であるところの「日本文化」に拠って、それを生業にするとよいのではとおっしゃっているわけです。

(こういってしまうとパティシエさんやブランジェリーさんはダメなの、と思われるかもしれませんが、豈図らんや、こうした「外来」のものこそ「日本文化」を生かせる…近頃、和製のワインやシングル・モルト、チーズなどが欧州で大評判であることの所以です)

こういうことをいうと、たいていの人は「本」を読み始めてしまいます。
でも、そうではなくて、理屈で覚える前に、例えば片っ端から「お寺」を観るとか、そういう方向から始めた方が良いと思います。繰り返しになりますが、現場では皮膚感覚です。

江戸文化というと、勉強のできる人ほど、年表みたいな本をあたり、260年間の大枠を掴んでから、ディティールへという考え方をなさいますが、そんなのどうでもいいことです(どうでもいいていうのは、少し乱暴か…)。そんなことより、今、下町へ出かけていって、例えば、風鈴の職人さんのところにお邪魔して、悪いけれど、1日観ててもいいかと頼んでみてください(これが結構難しいですけれど…たぶん、主観的な想いや情熱を元手に頼んでも無理です。でもその職人さんにシンパシーが得られれば、すっと受け入れてもらえます)。

座学は、そういうのが一通り終わってからで充分だと思います。
皮膚感覚を磨き、一端のものにするまでにはかなりの時間がかかりますしね。

堀井さんの著作「若者殺しの時代」。賛否両論の書籍で、特に「逃げる」が解せないといわれていましたが、発刊から10年ほどの時間が経過して「逃げる」の意味が鮮明になってきたようにも思います。新古書店でも、そう難儀なく見つかると思いますので、一読してみてください。

久隅守景

「達筆」をいうと、本来「文字を上手に書くこと」なんでしょうが、久隅守景の描いた絵を観ていると、その熟達した筆運びに、思わず「達筆」という言葉をイメージしてしまいます。まさに狩野派…というより探幽そのものといってもいい筆運びに、あの頃のこの国に二人といない名人だったでしょう。

でも「美」についての考え方がまるで違っていた…

あの頃のハイカルチャーが「醜いもの」「衆愚」とした庶民の姿にこそ、久隅守景は「美」を見出しました。まだ17世紀。赤穂浪士が討ち入りをしようかという時代の人です。19世紀、フランス印象派の画家たちは庶民生活に「美」を見出そうとしました。でも彼らに大きな影響を与えた北斎や広重よりも、守景はゆうに100年以上「以前」に生まれた存在でした。当時の絵師、特に探幽のような御用絵師は、大名たちの威厳を演出するためのイリュージョンを生み出す力量で尊ばれていました。だから、鷹狩の供をする者が藁束の上に腰掛けてあくびをしていてはいけないのです。鷹狩に参加する全員が、殿様の号令一下、合戦さながら勇猛に鷹を追わなければならないのです。

探幽よりも探幽のような筆致で、「衆愚」を愛おしく、美しく描かれては、狩野派もたまらなかったのでしょう。久隅守景を狩野派随一の高弟にはしておけなかったのだと思います。

恐らくは、彼が糊口をしのぐために描いたと思われる個人蔵の「軸画」に、軽やかでいいものがたくさんあります。

残念ながら一番の傑作とされる「納涼図屏風」は11月3日までの展示でしたが、第2期展もまっすぐに当時の庶民を見つめた久隅守景を観ることができます。

逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展は
東京ミッドタウン3階 サントリー美術館で2015年11月29日(日曜日)まで

整理できるようになったのは最近のこと

横浜駅西口からしばらく歩くと、通称「岡野の交差点」といわれている場所があります。家系の元祖と言われる吉村屋さんがあり、一風堂があり、山頭火があり、もろもろラーメン屋さんが立て込んでいますが、どのお店もラーメン屋という技能を売っているわけではなく、お客さんを呼べそうな「ラーメンという物語」を売っているお店です。僕は、どのお店の物語にも乗りたくないので、さらに歩いて、カツカレーやカツ丼も美味い、ちょっとカッコイイ中華屋さんを目指します。10人も入ればいっぱいのお店ですが、いつも引っ切り無し。夏は、ここで高校野球を観ながら、チャーハン+餃子をやるのがご馳走です(おくさんはタンメンです)。もちろん、ハムの乗った冷やし中華も有ります。

ビジネスはお客さんが満足しそうな物語を描いて、その物語を売ります。
それ故に、ちゃんとした「美味しい」は知らないお客さんをターゲットにしたがります。木の葉のお金を渡しても、本当に「それは小判なんだ」と信じてくれるお客さんの方が利益率が高く取れる(取り続けられる)からです。

でも、こういうふうに理屈で整理できるようになったのは最近のことです。それまでは、ただただ、違和感でしかありませんでした。違和感はブランド野郎だった頃からあったのですが、その違和感を何に感じているのかがわかりませんでした。

40代に入る頃から鬱々とした状態になり、けっこう悩みました。

面白いのは、今振り返っても、仕事は真っ当で、だからビジネス志向が主流な中では変わり者だったということです。

オヤジやひいばあちゃんの差し金ですかね。
でも感謝しています。だからこそ、仕上げに入れますからね。この歳で「判ってみたら自分に愕然とする」っていう感じにはならずにすみましたからね。有難いことです。

無名戦士

それでも、弾幕をかいくぐって、いい仕事をする仕事師なお役人も、ごく稀には存在します。
もちろん、民間の不動産会社にも存在します。
まるで無駄な抵抗みたいな小さな事例ですが、いい仕事をしている人はいます。

絶妙なタイミングで市街化調整区域外して、森林と暮らせる住宅開発をさまざまなサークル活動付きでつくって即日完売とかね。今も、時々出る空き住戸はキャンセル待ちで販売価格も新築時より10%くらいは高くなっている…もちろん、このインフレ前のデータです。

みんなの力を合わせても大勢は変えられませんが、それでも無名戦士はいるもんです。

形から入って、形だけで終わる

未だに街場では「形から入って、形だけで終わる」がスタンダードかな。
目に見える部分だけをコピーしようとして、それで終わり…

しかも、そうそう精巧にコピーできるわけじゃなく、どこか訛っている。中国のドラえもんみたいな感じ。

だって、視覚に飛び込んでくる形だだけを注視してしまう人には、正確に「形」のコピーをすることは不可能なんです。
だって、その「形」を造りだすまでに注がれた造り手の努力って可視できないでしょ。
それだけじゃありません。その「形」の持っている値打ちのほとんどが「見えない」もの。逆に言えば、そのあたりが見えないからこそ「中国のドラえもん」みたいなコピーに終始してしまうともいえる…

着心地、使い心地… ね。「形から入って、形だけで終わる」では造れないものばかりです。