人 間

何度か、書かせていただいていますが、僕は「人間」ってイメージの産物だって思っています。

「人間らしさ」っていう脚本を書いて、それを上手く演じようとしている。

そう思っていたら「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を築いたのは妄想力のおかげ」と説く「サピエンス全史」(ユヴェル・ノア・ハラリ 邦訳本は河出新社書房から)という本が話題になりました。

サバンナの負け犬…僕らの実像は弱肉強食な「人類」という動物だということなのかもしれません。殺して食べて生きていくし、生存をかけて殺し合いもする。しかも、僕らは「妄想力」に信用を置いている。

オックスフォード辞典が昨年(2016年)の流行語に選んだのが「脱真実(Post-truth)」。真実を伝える記事より、RT(リツイート)ないしは「シェア」される記事のほうがインパクトを持つ…このことは「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を築いたのは妄想力のおかげ」に由来するのでしょう。そうでなければトランプ氏がアメリカ合衆国大統領に当選するなんてことも、反知性主義と言われる人々が人々の尊敬を集めることもないのでしょう。

理路整然とした真実の描写より「物語(フィクション)」としての説得力を信頼する…

僕らは普段、理性的な人間を自認していますが
その前に、根は「人類」というケダモノであることを忘れてはいけないのかもしれません。

みんな

うちが「自営」だったからかもしれませんが、わが家では、子どもたちに、この世間を「自分で生きていく」を教えようとしていたように思います。少なくとも「組織に属して生きていく」ための方便ではなかったなと思います。
確かに「世間」とはよろしくやっていくものだが、あくまでも主体は自分にあって「従う」ではない。判断は自分でして、自分で行動する。人生は自分で切り拓くもので「我慢して従え」とか「集団の規律を守れ」ということを教わった記憶はあまりありません。

たぶん、このことで、僕はクラスからは浮き上がるんですが、こういう時代になってみると、その時代にふさわしいライフ・コンセプトを身につけさせてもらった感もあります。

特に母親の家系は、今から100年以上も前の時代に、女性一人ヨコハマを斬り抜けてきたひいばあちゃんが家祖。彼女は関東大震災も第一次大戦後の好景気も昭和恐慌も、上海事変あたりの軍国景気も、その後の空襲被災も、第二次大戦後のハイパーインフレの嵐の中、占領軍が跋扈するヨコハマを生き抜いてきた人。無学、読み書きすらできなかったひいばあちゃんに「就職先」があるはずもなく、秩父から出てきた彼女は一人で生きてく人生哲学を研鑽するしかなかったんでしょう。

そして、このひいばあちゃんが中心にあった「家」に、組織の中で生きていくという概念はなく、自分で切り拓けなければ「ひ弱」とされました。

そもそも「職業に就く」ということを意味する「就職」という言葉が「会社に入る」と同義語になったのは、実は最近のことで、ほんの数十年のことです。それなのに、その「就職」を定番化させてしまうのは、とても危険なこと。勝負は「面接」だけで、あとは、お金の稼ぎ方から、税金の支払いまで「会社に任せる」…それは、終身雇用を政府が指導していた(できていた)極めて稀な時代だけに通用していた方便なのだと思います。

そもそも会社というシールドを失って、風圧を一身に受けながら歩く世間は厳しいものです。

加えて、これからは学歴だけでは生きていけないし、実質的な素養が求められる時代でもあります。労働市場は国際化、もちろんAI(人工知能)もライバル。さらに変わり者が生きにくかった時代が急速に終わり、「フツウ」の価値が失われていく…工業生産時代の優等生は、全く立つ瀬がなくなる可能性大です。

でも、僕はクラスからは浮き上がっていた。つまりイレギュラーだったわけです。「みんな」はどうするのかな…

わが家に先見の明があったわけではありません。ただ一族郎党「自営」だった…ただそれだけです。

それほどに「自営」と「給与で生きる人」は、ライフ・コンセプトからして違う、そのことが「給与で生きる人」に想定できるかどうか。なにしろ、少数派である「自営」と違って、「給与で生きる人」は多数派であり、故に「みんな」ですからね。

哀しいな

「勝ち組」志向って「貧しい家庭」から出てくるんだろうな。だって裕福な家庭に育てば、あえて「臥薪嘗胆して勝ち組に」なんて思わないだろうから。しかも「貧しい家庭」に育てば「勝ち組的ライフスタイル」は想像の産物なんだから、これが「勝ち組のライフスタイル」ですよと誰かの誘い文句にも乗りやすいでしょう。それ故のブランド志向とも言えるのかもしれません。

こういう構図をよく理解し、うまく利用してビジネスしている人もいるんでしょうね。

資 格

人材についても、さらに「質(しつ)」を問うようになるのかな。「量」的な仕事は人工知能でしょうからね。

情報を暗記して試験を受けて、記憶力を確認されて、合格すればプレミアムがつく…みたいな時代は近く終わりになるんでしょう。僕ら工業生産時代の子どもたちには、そのあたりが厳しいところ。そして、そのあたりが最もアジャストが効かないところでしょう。
未だに、解らないことは「教えてくれる」ところを探し、例えばユーキャンに飛び込む、そうしたらガーデニングなんて「個人的な愉しみ」まで型にはめられてガーデニング・コーディネーターなんて資格は取れるかもしれないけれど、肝心な個性は潰されているかもしれないという…

ああ…

二極化は時間とともに激しくなるのでしょう。せっかく弁護士になれても「法律の知識」、その「量」でいく人は仕事にあぶれて、「交渉力」や「政治力」でいける人は、逆にステイタスを駆け上っていく。そんな感じでしょうか。弁護士どうしの潰し合いの煽りを受けて、同じ法曹界の有資格者=司法書士や行政書士などが割りを食うのは言うに及ばず、例えば、宅建取引主任なども、その不動産取引の代理人をするような弁護士が出てきて(不動産売買のエージェント制)、その職を脅かされるのでしょう。

案外、自分の判断に自信がなくて、自信がないから、国家や公的な団体に実力の裏書きを頼みたくなってしまうのが、工業生産時代の子どもたち。でも、試験をする側は個別に人を見て資格を与えているわけではありませんからね。有資格者のアウトプットは、どうしてもステレオタイプになってしまう。

そういうことに無頓着なのも、また工業生産時代の子どもたちです。

有資格者だからこそ、いい庭が創れるなんてことがあるのかぁ。むしろ、無難な庭になっちゃうんじゃないのかな。
だったらネットで調べて、それを参考に自分でやっちゃえばいい…というのが今であり、「これから」です。

そこを越えていけるのは、たぶん「飯より庭が好きな人」ですが、そういう人は数が少ない。でも、たった一人のそういう人がいれば、あとはネットで拡散しちゃえばいい…

それも「これから」です。もう誰も止められないんだから仕方がありません。

協調性ナシ

僕にはね。今こそ「みんな」についていくメリットが感じられないんです。

リーマン・ショック以降、多くの人が激務で、勉強するゆとりはおろか、世の中の変化にだって疎くて、ひたすら会社のデスクと狭い人間関係の中で「日常」をやりくりするのに手一杯。薄々は「AI」「人工知能」の侵略に怯えながらも有効な対抗手段は打てない…時間がないから。下手をすれば「寝る時間」さえない。

でも、僕らが慣れ親しんできたマニュアル・レーバーな時代は近く終わるんです。

そのスジが通ってなければ、アマゾン・ゴーだって、クルマの自動運転だって、こんなにも実用実験には至らないでしょう。現実に、僕らは、運転士さんも車掌さんもいない電車に、無人のホームから乗ってるんです。これが「電車」で終わるわけがない。

ところが時間がない。どうやって対応したらいいのか、その方法も思い浮かばない。最善の選択が「しばし、忘れること」だったり。

たぶん…」これが「みんなの実情」です。

幸いにも、僕には(倒れて以来)「みんな」に比べれば考え、実験する時間があって、個人で自営なので、組織のしがらみもない。故に、一人で情報を仕入れて、自分の適性を確認して、企画を立て、淡々と実験に移せばいいわけです。

つい最近まで、それでも「みんな」というか「世間」を気にしていましたね。「多数決の多数」と言い換えてもいい。何しろ、圧倒的なマイノリティですからね。自分の方が間違っているんじゃないかと疑いたくもなるわけです。

でも「多数決」って「ある意見と同じか、似ている意見を持つ人が過半数より多かった」ということを確認することではあっても、その意見が的確なものかどうかを査証する仕組みにはなっていないわけです。

ああ「みんな」で間違えることもあるわけか。

そうじゃなきゃ、国中を焦土にしてしまうような負け戦に、国を挙げて踏み出すようなこともない…

あの時の国民の多くがアメリカを知らず外国を知らず、大艦巨砲の時代が終わったことを知らず、空爆、焼夷弾の恐ろしさを知らず、ただただ政府を信じて毎日を過ごしていたように…

現在の「みんな」も、あの時と同じように生活に追われ、戦局に疎く、結果的に準備を怠っているのかもしれません。

やっぱり、ついていく気にはなれないな。通知表に「協調性ナシ」って書かれちゃいそうだけど。

イメージとしてのヨコハマ

僕はヨコハマの港近くに育ちました。育った家は、僕で4代目。140年、港近くに暮らす家で、創業者のひいばあちゃんは秩父の人。無一文からの成り上がり。読み書きはできなかった。そして、そういう「家」があったご町内も地方出身の出稼ぎな労働者。確かに外国人は珍しくはありませんでしたが、エスタブリッシュとは程遠い、アメリカ軍人か軍属、アジア系な労働者たちでした。

これが僕の「ヨコハマ・リアル」だったので、もともと「イメージとしてのヨコハマ」には居心地を見出せませんでしたが、さらに80年代から、90年代も半ばを過ぎると加速度的に「イメージとしてのヨコハマ」が増殖し、僕のリアルはどんどんと切り取られ、かき消されていきました。

そして、ついに行き場を失って、僕は埋め地を後にすることにしました。

でも、もともとは溺れ谷を新田化したところの、さらに地先を開港地にした旧都心と、横浜駅東西口周辺の埋め地を離れれば、簡単に「イメージとしてのヨコハマ」は希釈されました。なぜなら「埋め地」とは異なり、旧くからのドライ・ランドには長い歴史のリアルが綴れ織りになっていて、おいそれと「消去して書き換える」などということが(人間には)不可能だったからです。

埋め地は、悲しいかな「地盤」ごと「人工」です。あらかじめ、何もない広大な「平ら」を造って、道から建物から「絵に描いた」通りです。故に短期間での全面的な「書き換え」も可能。高校生の頃、女の子を誘って花火を見に行った倉庫街は、今、立派な高層住宅地です。僕には喪失感がありますが、僕が知っている「倉庫街」もたかだか数十年の街並みでした。

その諸行無常な感じが「埋め地」を離れるだけで、ずいぶん薄まるのです。台地は面的な開発が難しいので「イメージとしてのヨコハマ」が大挙して侵略してくることもありません。「埋め地」に暮らしていた頃には知らなかった自然も豊富です。今、僕が暮らしているのはもちろん横浜市。エッジではありますが郊外とはいえない距離にあるところ。でも「イメージとしてのヨコハマ」に押しつぶされなくて済むような場所です。

10分も歩けば、もとの埋め地。未だに狐につままれているような気がするときもあるのですが、でも「イメージとしてのヨコハマ」から遠く離れて、とても落ち着いて暮らしています。

楽しんで時代に適応していくこと

まだ、インターネットが苦手だとか。ツイッター、インスタグラムとかの、つまりSNSが嫌いっていう人はいるんですよね。さすがに若い人にはいないんでしょうけど、「俺には必要ない」って言い張ってた団塊の世代の人もいたなぁ。
でも、ガスとか水道に、好きも嫌いもないでしょ。もうインフラ化しちゃったんだから「断固、拒否」っていうのも難しいと思うんです。確かに薪でゴハン炊いたら美味しそうですけれど、それに固執したら都会の分譲や賃貸の住宅には暮らせませんもんね。

慣れるしかない。そういう流れにあるような気がします。

「一億総管理社会」も流れでしょう。これを小さい僕らが拒否することはできない。この中でうまく立ち回っていくしかないのだと思います。

わざわざやらなくていいことまで積極的に参加する必要はないと思います。でも、しなやかに対応すべきは対応すべきなんでしょう。「不慣れ」や「面倒」を理由にすべきではないとは思います(実際、面倒ですけどね)。
同じように、やがては「無人の街」にも慣れていかなければならないのでしょう。その中で寂しさに押しつぶされそうになっても、誰かが手を差し伸べてくれるわけではないですからね(お金を出せば話はまた別なんでしょうけれど)。そのあたりはセルフ・サービスでしょう。

いずれにせよ、1961年生まれの僕にしてみれば「意外」や「違和感」に満ちた未来が待ってるのでしょう。楽曲の購入に物理的な形が失われ、映画やドラマがスマホの中に入ってしまっても、それはそれ。淡々と「時代の流れ」と思って「慣れていく」しかないのだと思います。

「必須」なら楽しむこと。文句言ってても、虚しくても、時代は勝手に次のステージに向かいますからね。

でも、デジタル・ネイティブではないからといって(デジタル・ネイティブである)若い人を恐れる必要はなさそうです。

彼らは、機材の使用法には精通しているかも知れませんが、むしろ工業生産時代の教育の最末期に属していて、彼らの多くがステレオタイプな複写機。よって、彼らのSNSを見にいっても「楽しかった」「美味しかった」と「ピースする自分の顔写真」「友だちの顔」。知価(情報)生産で食っていくには程遠い感じです(しかも、そうしたことに無自覚です)。

(この点については、彼らが置かれている、この時代の経済状況にも拠るのかもしれません。「奨学金破産」が話題になる昨今ですが、そうでなくともバイトに明け暮れ、世の中に見聞を広めるほどのゆとりは持っていないのかもしれません)

それに驚くほど世界も狭く、内向きです。クラスメイトな常識が世界の常識(だから、そこからはみ出ると酸素がない宇宙空間に放り出された感じになってしまい必死でステレオタイプを演じているのかもしれませんね)。でも、世界が狭ければ自分に磨きがかからないのも事実でしょう。

いずれにしても、知価(情報)生産に置いて、若い世代にこそザクザクとライバルがいるという状況はなさそうです。逆に、彼らこそが大した社会経験も積めないうちに、無人化と労働市場の国際化の荒波に揉まれていくのかもしれません。

どこかに「これは」と思える「完成されたプロトタイプ」が転がっている時代ではありません。そのことが自覚できていれば、それだけで(おじさんでも)有利でしょう。

あとは楽しんで時代に適応していくこと。ストレスだけは大敵ですからね。

諦めてしまうか、自分で動き出すか

市井の隅々にまでマニュアル・レーバーは浸透しました。

僕が子どもの頃には「まさか、小さな商店街にまで」と思いましたが、実際には、場末の商店街にもコンビニがあり、牛丼チェーンやハンバーガー・ショップがあり、居酒屋もチェーン店だったりします。
1956(昭和31)年から1966(昭和41)年まで「あまから横丁」という商店街を舞台に、酒屋さんと、パン屋さんと、保険外交員さんを主人公に大ヒットしたドラマ「お笑い三人組」(NHK)がありましたが、今の商店街は、直営店にしろフランチャイズにしろ、店主さんの顔は見えず、スタッフさんも流動的。「お笑い三人組」のような番組が毎週放送可能になるほどのエピソードに恵まれる人的なつながりはなく「買い物ができる(飲食できる)という機能」だけがある空虚な現場です。

今年末、民放のテレビドラマから久しぶりに「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS)という話題が生まれましたが、閉じた職場の数人の同僚、核家族、同級生の一人か二人…そんな閉域の少人数の中で展開される物語が大半でした。
物語の終盤、森山みくりさんは商店街のイベントを手伝い、タウン誌の記者さんになりますが、現況の商店街に活気にあふれた人間関係はありません。みくりさんのお友だちの八百屋さんにも、来客は「たま〜に」。エピソードに盛り込まれることはありませんでしたが「タウン誌」の方もたぶん「推して知るべし」な状況でしょう。

でも、こういう商店街を僕らは選びとってきたのです。

店主もスタッフさんやお客さんとのコミュニケーションを面倒臭がりました。お客さんも、お店との会話を面倒臭がりましたし、何時に行っても買い物ができるわがままの実現を望みました。

そこに、資本が「便利」と「楽チン」を提供し、その代わりに、その地域で稼いで地域に落ちたはずの「収益」を合法的に取り上げていきました。地域には人的なつながりが生まれにくくなっただけでなく、お金も搾取されてしまったので、あとに残るのはゴーストタウン化です。

さて

行政は、この仕組みには手をつけずに、いたずらにイベントを多発して商店街を盛り上げようとしますが、これは、まさに「焼け石に水」。でも、特に自治体としては「地域に落ちたはずの『収益』を取り上げていき」の部分は触れられないのでしょう。そして、触れないで「手は打っている」を装うのが、今日的な行政施策かな。

ただ、そういう問題点を指摘しても、おいそれと行政の姿勢が変わることはないのでしょう。何も、この感じは商店街振興に限ったことではありません。

あとは諦めてしまうか、自分で動き出すかのどちらかでしょう。文句言ってる時間はありません。