ストレス負荷を軽くするために

小学校問題は案外「致命傷」になるのかもしれません。
でも、これで政権が倒れても、工業生産時代から知価(情報)生産時代へと移行しているこの国の現状には変わりなく、「公」が脆弱なら無人化(効率化)を進める民間の動きはますます加速するのだろうし、たった5年の間に1000万人が出生している団塊の世代が一斉に、そしてどんどんと高齢化していくて状況にも変わりがありません。

まるで、いつまでも20世紀を続けていきたいような時代錯誤な成長戦略を打ち出し、しかも政商に牛耳られているような現政権が倒れることは悪いことではありませんが、その政権が倒れても市井の「苦労」は「苦労」で未曾有であるということです。楽になる、ホッとできると思ってはいけません。

人工知能は統計的なデータ蓄積と引き出すスピード、組み合わせなどにはとんでもない力を発揮できても、言葉にも数値にもできないことには、さっぱりです。

たぶん、人工知能に提携のビジネス文書は書けても、相手を思い遣った手紙を書くことは、しばらくはできないでしょう。本来的な意味での「もてなし」などもそうです。

国家資格などを目指して、それを延命の拠り所とするのはあまり勧められませんが、少数でいいからファンになってくれる人が帰って来たくなるようなcafeには将来性があるかもしれません(どこかにあるおしゃれなcafeをコピーしたような店ではなく…)。

会社もいつ退職を求めて来るかわかりませんから「社内の評価」だけに安居するのは危険でしょう。
貯金にも「インフレ」の影響も加味して考えておくべきです。僕は、近く預けておくだけで手数料を取られそうな「貯金」頼りは危険で、何らか「運用」に長けるしかないんだろうと思っています。

いずれにせよ、どんな時代になろうとも、死ぬまでは生きていかなくてはなりません。
できるだけストレス負荷を軽くするために準備です。

「孤独」と仲良く

「みんなでいる安心感」を支えきれなくなるんだと思うんです。そのためのコストとしての「つきあい」を負担できなくなる。そのくらい僕らは貧乏になり、忙しくなる…。「忙しい」は知価(情報)生産に従事できるようになった幸運な人々にも同様でしょう。

だからね。「孤独」と仲良くなっていた方がいいかなと思うんです。

戦国時代で無間地獄

1961年生まれの僕は、もちろんデジタル・ネイティブな世代ではありません。それなのに仮想通貨が金融業界を劇的に変えていく社会を体験しなければならないのです。しかも、高齢になってから

「貯金」という考え方が根底から消え失せる。土地の資産価値が消える。就職先としての銀行だって消える…

まぁシンドイわけです。

たぶん国家も「まず、ありき」なものではない時代も体験するのでしょう。

工業生産時代が終わり、知価(情報生産)時代になり、小型で軽くて持ち運べるコンピュータとクラウドがあれば、異ジャンルの学者やクリエーター、デザイナーなど情報の生産者が出会えて話せる「cafe」みたいなところが最も「稼ぎがいい」場所になり、東京ドームいくつ分なんていう広大な工場や超高層なオフィスビルは無用の長物になり、小さな街(町)や村のどこかが隆盛になり、国家は「広大な工場」のように無用の長物になってしまうはずです。

テレビ番組もman-to-manディフェンスです。各人にオートクチュールな番組構成です。テレビの話題についてけないとクラスで仲間外れになるということもなくなっているのかもしれません。それ以前に、同窓生みたいに「同じ学校を卒業した」が各人を結ぶ紐帯として生き残っているかどうか。友だちなどの「つながり」も同郷や同窓などを離れて、もっと自由でオートクチュールなものになっているでしょう。

こういうことだって、たいていは、しなやかに「次」にはいけないもんで、かつてのブラジル移民の中にあったという「勝ち組/負け組」みたいな混乱を生むわけです。

磯田 道史さんが「戦国時代にだけは生まれたくないですねぇ」と度々おっしゃっていますが、そんな感じかなぁと思っています。
江戸時代が終わって明治になって「散髪脱刀令」が明治4年。260年続いてきたものがたったの4年、しかも満足な準備期間もナシに近い…たいへんだったと思いますけど、たぶんね、そんなもんじゃない。変化は世界的なわけだし…

しかも、昭和22〜24年の3年間で806万、前後1年ずつを足して5年間で見れば1000万人を超える団塊の世代が一斉に後期高齢入りし、無人化が人の仕事を奪ってく時代と、大きな断層のような時代の移行期が重なっている。

まぁ、戦国時代でしょう。

しかも、戦国時代の平均寿命は一説に33歳ですが、これから先は大手を振って医学が発達して死ねない。
僕の脳出血のキャリアでさえ、あと3年で再発しても後遺症なしで助けるなんて話しもあるんです。

無間地獄だなぁ…と。

フツウという色眼鏡

「夜の本の虫 久米書店」(BS日テレ 金曜23:30〜)にご出演だった堀江貴文さんからの「受け売り」なんですけれど、確かにSNS等々インターネットが世界中でインフラ化すれば、当然の事ながら、あらゆる側面で「フラット化」です。年齢、性別、どこに生まれたか…そういうことの「別」は急速に溶けてなくなる。実際にモンゴルの大平原からインターネット越しにマサチューセッツ工科大学に入学を許された少年がいましたが、優秀ならば、僕が少年だった頃には考えられないほどにバリアフリーです。

いや

優秀じゃなくても「興味があれば」かな。

アフリカの電気もない村の子どもたちに実験的にパッドを渡して見たら、遊びながら英語を理解し、短時間にハッキングをする子どもまで現れたという…

あんな感じ。

とにかく「速い」。わざわざ図書館に出向いて閲覧カードをめくって資料検索をしていた時代とは、その検索スピードが違いますし、疲れ方も違う。その気があるなら、どんどんいける。逆に言えば、その気がない人はどんどん置いていかれる。秒単位で置いていかれるわけです。

そして、国も超えて、言語も超えて、剥き身のアイディアが勝負です。世界で一番最初に手を上げなければならない。
昭和初期なら、マスメディアでさえ未発達だから、今は一発屋といわれる芸人さんが全国を回って一生喰えたし、タモリさんみたいな人がいれば、全国に彼の偽物(モノマネ芸人さんじゃなく)が出没して、案外、喰っていけたんだそうです。でも今はマスメディアの塗り残しを埋めるようにSNSもあるわけで、タモリさんが一人いれば、彼が供給者となっているジャンルの、ほとんど全ての需要が満たされてしまいます。もちろん、ヨコハマで一番の唄い手だから喰っていけるなんていうのは今は昔の話です。どこで唄っていようが評価はワールドワイドでしょう。小さな離島で唄っていてもグラミー賞が取れるかもしれない可能性が出てきた一方、「5段階評価の4」みたいな唄い手の立つ瀬は急速になくなっていく…

なんとも厳しい時代です。

でもね。未開拓のジャンルもたくさんある。昔みたいにマスメディアで影響力を持つ人々の評価軸に乗らなくたっていい。コンテストで落選を繰り返していても「産直」したら成功することもある…ピコ太郎がいい証拠です。

とにかく「フツウという色眼鏡」を外して、素の自分を観察してみることでしょう。見せ方によっては、すでに「喰えそうな芸」を持っているかもしれません。

自分を信じてみましょうよ。

「闇市から」には今から

「集団生産性とマニュアル・レーバー」を抜け出せない人々が国民の大多数を占めているのに、企業は利益を優先して、生産は人件費が安い海外に移転し、国内ではその部分を無人化し、知価(情報)生産力がある個人を優遇しようとしている。

恐らく、政府や自治体は、それに抗する策を講じることができないのでしょう。

効率を優先してのコンパクト・シティ化は、むしろ首都圏で進んで神奈川、千葉、埼玉でさえ、過疎化に悩むようになるのでしょう。ヨコハマ都心も東京に吸収されていきます。地方の町や村の中には「知価(情報)生産」に対応できてむしろ隆盛になるところも出てくるでしょうが、それをノウハウとして汎用することは不可能で、例外的な成功事例に止まるでしょう。つまり、たいていは、このままコスト高のままに「消滅」です。

(北海道の某町に、僕と同じ病歴を持つおばあちゃんがいて、ヨコハマ都心に住む僕ならば歩いてもいける定期検診のお医者さんが、遠い大都市にしかおらず、日帰りができなくて、定期検診でも短期入院になると。だから「毎月」は無理だし「薬だけ」にしても調剤薬局までバスで1日がかりになると言っておられました。「コスト高で消滅」とはこういうことです。その町では「出産」もできなくなっていました)

そして、福島の事故の問題がある。

これは、素人の憶測ですが、たぶん一般に流布されている情報が創り出すイメージより汚染範囲も規模も考えられないほどに広範で深刻なんでしょう。
事実がエクスポージャーされれば、オリンピックを辞退する国が出てくるほどに…

(NNNドキュメント「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」という興味深いドキュメンタリー番組があります。You Tubeでも拾えるようです)

つまり、この国の国際的な信用はガタ落ち。もちろん株式市況や投資についてもです。政府をして大嘘をついていたわけだし、国民はその政府を容認してきたのだし。

安倍さんがバクチをかけたくなるのも判らなくはありませんが、滅多に当たらないからバクチなわけです。

僕が「闇市からやり直し」になるのだなぁと思う所以です。

首脳がバクチに出れば、そう長くはありません。小池さんが首相を狙っているという話しがありますが、彼女が首相になれるとして、それは「戦後」の話しでしょう。
それほどに、時間はない。「闇市から」に今から備えるべきです。

「自分」を発掘してやる

セルフ・サービスの第一歩は「裸の自分」を見つめ直すことでしょう。

ひとり一人は確実に個性的である僕ら。だから、すっぴんの僕らの「顔」は驚くほどに個別的で、立ち方も歩き方だって千差万別です。それなのに、工業生産的で故に集団生産的なマニュアル・レーバーに参加するために、学校や親たちが指導する「フツウ」に参加して今日に至る…だから、既存の職業の中から、自分のなりたいものを選ぶことを「夢」だと思い込まされてきた。

だからこそ、僕らは本当の僕らの適性を知らず、もちろん「裸の自分」を真剣に見つめようとしたこともない。そして、社会的なステイタスが高く、みんなが憧れてくれそうなら、自分の適性を詳細に査証することもなく、旅客機の客室乗務員やパイロットやアナウンサーを目指し、その上で、どこに行っても、マニュアルを覚えて慣れて「みんな」からハミ出さないように神経をとがらせてきた…

しかし、時代は急に「個性」を求め始めた。しかもAI(人工知能)は「覚えて慣れて」については、人類を凌駕する鉄人です。

「みんな」からハミ出さないように神経をとがらせるリスクだけが残って「覚えて慣れて」の技能については価値を失う…

そんな時代に、工業生産的で故に集団生産的なマニュアル・レーバーに参加することで生きてきた世代はどうしたらいいのか。

まずは、自分でさえ見失ってきた「自分」を見つめ直してやること。選択肢の中から人生を選ばなければならなかったからこそ見失ってきた「自分の個性」に着眼してやることです。これからの時代にイケそうな「資格」をリサーチする前に「プリミティブな自分の能力」を発掘してやることです。

正確に「プリミティブな自分の能力」を発掘してやることができれば「職能」は後からついてきます。

ある左官の親方が「とにかく俺は、壁を均等に塗っていると気持ちがいいんだ」と言っていらっしゃいました。左官なんて難しいものじゃない、俺は手から伝わってくる感覚が気持ちいいから、それを毎日やっているだけだともおしゃっていました。

たぶん、こういうことを指して「好きこそものの上手なれ」っていうんでしょう。
まずは、自分の「好きこそ」の発掘からです。

やさしい街の一部になりたい

たぶん一度は焦土と化すだろうヨコハマ都心。でも、静かに「始まり」を感じる街もあります。
ただ、リハビリ散歩で毎日のように6年間、横浜市内、東京23区あるいは三多摩あたりを隈なく歩いても、そういう可能性を「街という面」で感じるところは、そんなに多くはありません。さらに「仕掛けなく自然発生的な」ともなると、ごくごく稀で、片手でも余るといった具合です。

でもね。あることはある…ヨコハマにもある。

都市的な利便性に恵まれているのに、自然的な環境にも恵まれている。鳥類や動物たちも豊富で、猫町でもある。
小さくて真摯な教会がいくつかあって、鐘をつく寺がある。シュタイナー学校のような立派な学校がある。
真面目に技能に取り組む若者が複数いて、ビジネスではない、いいBarやcafeを切り盛りしている若者も多い。しかも、その数が増えている。
ナンで食べられる美味しいカレー屋さん、パン屋さんがあって、ラーメン屋さん、洋食、鰻屋さんがある。この分野においては老舗もある。
街かど本屋さん、古書店がある。魚屋さんか、八百屋さんで個人店がある。お米屋さんがある。

あるにはあるんですよ。
ぜひとも「枯れないように」したいんですが、恐らく「知られてない」からこそ乱されずに済んでいるところもあるんでしょう。難しいところです。

静かなままに盛り上げていく方法ってないのかな。
少なくとも、従来の「まちづくり」発想じゃないし、このままを愛でてくれる人にだけに、そっと発信していく感じでしょう。

やさしい街の一部になりたいな。

国 益

お金がある国が自国の国益を優先させようとした結果、UNHCRの幹部職員の7割近くが欧米人なのに対し、難民キャンプなど現地で仕事するスタッフの9割が発展途上国出身者という構図になってしまっている。

THE HUFFINGTON POST 2017年1月26日付
黒岩揺光さん
「トランプ大統領の「孤立主義」を危ぶむ前に日本人が知らなければならないこと」より

「国益」って誰のための国益なんでしょう。考えさせられます。全文は ↓
http://www.huffingtonpost.jp/yoko-kuroiwa/isolationism-trump-and-japanese_b_14349402.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001