フツウという色眼鏡

「夜の本の虫 久米書店」(BS日テレ 金曜23:30〜)にご出演だった堀江貴文さんからの「受け売り」なんですけれど、確かにSNS等々インターネットが世界中でインフラ化すれば、当然の事ながら、あらゆる側面で「フラット化」です。年齢、性別、どこに生まれたか…そういうことの「別」は急速に溶けてなくなる。実際にモンゴルの大平原からインターネット越しにマサチューセッツ工科大学に入学を許された少年がいましたが、優秀ならば、僕が少年だった頃には考えられないほどにバリアフリーです。

いや

優秀じゃなくても「興味があれば」かな。

アフリカの電気もない村の子どもたちに実験的にパッドを渡して見たら、遊びながら英語を理解し、短時間にハッキングをする子どもまで現れたという…

あんな感じ。

とにかく「速い」。わざわざ図書館に出向いて閲覧カードをめくって資料検索をしていた時代とは、その検索スピードが違いますし、疲れ方も違う。その気があるなら、どんどんいける。逆に言えば、その気がない人はどんどん置いていかれる。秒単位で置いていかれるわけです。

そして、国も超えて、言語も超えて、剥き身のアイディアが勝負です。世界で一番最初に手を上げなければならない。
昭和初期なら、マスメディアでさえ未発達だから、今は一発屋といわれる芸人さんが全国を回って一生喰えたし、タモリさんみたいな人がいれば、全国に彼の偽物(モノマネ芸人さんじゃなく)が出没して、案外、喰っていけたんだそうです。でも今はマスメディアの塗り残しを埋めるようにSNSもあるわけで、タモリさんが一人いれば、彼が供給者となっているジャンルの、ほとんど全ての需要が満たされてしまいます。もちろん、ヨコハマで一番の唄い手だから喰っていけるなんていうのは今は昔の話です。どこで唄っていようが評価はワールドワイドでしょう。小さな離島で唄っていてもグラミー賞が取れるかもしれない可能性が出てきた一方、「5段階評価の4」みたいな唄い手の立つ瀬は急速になくなっていく…

なんとも厳しい時代です。

でもね。未開拓のジャンルもたくさんある。昔みたいにマスメディアで影響力を持つ人々の評価軸に乗らなくたっていい。コンテストで落選を繰り返していても「産直」したら成功することもある…ピコ太郎がいい証拠です。

とにかく「フツウという色眼鏡」を外して、素の自分を観察してみることでしょう。見せ方によっては、すでに「喰えそうな芸」を持っているかもしれません。

自分を信じてみましょうよ。

「闇市から」には今から

「集団生産性とマニュアル・レーバー」を抜け出せない人々が国民の大多数を占めているのに、企業は利益を優先して、生産は人件費が安い海外に移転し、国内ではその部分を無人化し、知価(情報)生産力がある個人を優遇しようとしている。

恐らく、政府や自治体は、それに抗する策を講じることができないのでしょう。

効率を優先してのコンパクト・シティ化は、むしろ首都圏で進んで神奈川、千葉、埼玉でさえ、過疎化に悩むようになるのでしょう。ヨコハマ都心も東京に吸収されていきます。地方の町や村の中には「知価(情報)生産」に対応できてむしろ隆盛になるところも出てくるでしょうが、それをノウハウとして汎用することは不可能で、例外的な成功事例に止まるでしょう。つまり、たいていは、このままコスト高のままに「消滅」です。

(北海道の某町に、僕と同じ病歴を持つおばあちゃんがいて、ヨコハマ都心に住む僕ならば歩いてもいける定期検診のお医者さんが、遠い大都市にしかおらず、日帰りができなくて、定期検診でも短期入院になると。だから「毎月」は無理だし「薬だけ」にしても調剤薬局までバスで1日がかりになると言っておられました。「コスト高で消滅」とはこういうことです。その町では「出産」もできなくなっていました)

そして、福島の事故の問題がある。

これは、素人の憶測ですが、たぶん一般に流布されている情報が創り出すイメージより汚染範囲も規模も考えられないほどに広範で深刻なんでしょう。
事実がエクスポージャーされれば、オリンピックを辞退する国が出てくるほどに…

(NNNドキュメント「お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」という興味深いドキュメンタリー番組があります。You Tubeでも拾えるようです)

つまり、この国の国際的な信用はガタ落ち。もちろん株式市況や投資についてもです。政府をして大嘘をついていたわけだし、国民はその政府を容認してきたのだし。

安倍さんがバクチをかけたくなるのも判らなくはありませんが、滅多に当たらないからバクチなわけです。

僕が「闇市からやり直し」になるのだなぁと思う所以です。

首脳がバクチに出れば、そう長くはありません。小池さんが首相を狙っているという話しがありますが、彼女が首相になれるとして、それは「戦後」の話しでしょう。
それほどに、時間はない。「闇市から」に今から備えるべきです。

「自分」を発掘してやる

セルフ・サービスの第一歩は「裸の自分」を見つめ直すことでしょう。

ひとり一人は確実に個性的である僕ら。だから、すっぴんの僕らの「顔」は驚くほどに個別的で、立ち方も歩き方だって千差万別です。それなのに、工業生産的で故に集団生産的なマニュアル・レーバーに参加するために、学校や親たちが指導する「フツウ」に参加して今日に至る…だから、既存の職業の中から、自分のなりたいものを選ぶことを「夢」だと思い込まされてきた。

だからこそ、僕らは本当の僕らの適性を知らず、もちろん「裸の自分」を真剣に見つめようとしたこともない。そして、社会的なステイタスが高く、みんなが憧れてくれそうなら、自分の適性を詳細に査証することもなく、旅客機の客室乗務員やパイロットやアナウンサーを目指し、その上で、どこに行っても、マニュアルを覚えて慣れて「みんな」からハミ出さないように神経をとがらせてきた…

しかし、時代は急に「個性」を求め始めた。しかもAI(人工知能)は「覚えて慣れて」については、人類を凌駕する鉄人です。

「みんな」からハミ出さないように神経をとがらせるリスクだけが残って「覚えて慣れて」の技能については価値を失う…

そんな時代に、工業生産的で故に集団生産的なマニュアル・レーバーに参加することで生きてきた世代はどうしたらいいのか。

まずは、自分でさえ見失ってきた「自分」を見つめ直してやること。選択肢の中から人生を選ばなければならなかったからこそ見失ってきた「自分の個性」に着眼してやることです。これからの時代にイケそうな「資格」をリサーチする前に「プリミティブな自分の能力」を発掘してやることです。

正確に「プリミティブな自分の能力」を発掘してやることができれば「職能」は後からついてきます。

ある左官の親方が「とにかく俺は、壁を均等に塗っていると気持ちがいいんだ」と言っていらっしゃいました。左官なんて難しいものじゃない、俺は手から伝わってくる感覚が気持ちいいから、それを毎日やっているだけだともおしゃっていました。

たぶん、こういうことを指して「好きこそものの上手なれ」っていうんでしょう。
まずは、自分の「好きこそ」の発掘からです。

やさしい街の一部になりたい

たぶん一度は焦土と化すだろうヨコハマ都心。でも、静かに「始まり」を感じる街もあります。
ただ、リハビリ散歩で毎日のように6年間、横浜市内、東京23区あるいは三多摩あたりを隈なく歩いても、そういう可能性を「街という面」で感じるところは、そんなに多くはありません。さらに「仕掛けなく自然発生的な」ともなると、ごくごく稀で、片手でも余るといった具合です。

でもね。あることはある…ヨコハマにもある。

都市的な利便性に恵まれているのに、自然的な環境にも恵まれている。鳥類や動物たちも豊富で、猫町でもある。
小さくて真摯な教会がいくつかあって、鐘をつく寺がある。シュタイナー学校のような立派な学校がある。
真面目に技能に取り組む若者が複数いて、ビジネスではない、いいBarやcafeを切り盛りしている若者も多い。しかも、その数が増えている。
ナンで食べられる美味しいカレー屋さん、パン屋さんがあって、ラーメン屋さん、洋食、鰻屋さんがある。この分野においては老舗もある。
街かど本屋さん、古書店がある。魚屋さんか、八百屋さんで個人店がある。お米屋さんがある。

あるにはあるんですよ。
ぜひとも「枯れないように」したいんですが、恐らく「知られてない」からこそ乱されずに済んでいるところもあるんでしょう。難しいところです。

静かなままに盛り上げていく方法ってないのかな。
少なくとも、従来の「まちづくり」発想じゃないし、このままを愛でてくれる人にだけに、そっと発信していく感じでしょう。

やさしい街の一部になりたいな。

国 益

お金がある国が自国の国益を優先させようとした結果、UNHCRの幹部職員の7割近くが欧米人なのに対し、難民キャンプなど現地で仕事するスタッフの9割が発展途上国出身者という構図になってしまっている。

THE HUFFINGTON POST 2017年1月26日付
黒岩揺光さん
「トランプ大統領の「孤立主義」を危ぶむ前に日本人が知らなければならないこと」より

「国益」って誰のための国益なんでしょう。考えさせられます。全文は ↓
http://www.huffingtonpost.jp/yoko-kuroiwa/isolationism-trump-and-japanese_b_14349402.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001

そういう時代のそういう社会

逆に柳井は「守り」や「安定」を絶対に許さない。かつて好んで口にしていた言葉がある。

「泳げない者は沈めばいい」

象徴的なのが05年7月に発表した社長更迭劇。02年に社長職を譲った日本IBM出身の玉塚元一(50、現ローソン副社長)を、わずか3年で更迭、自ら社長に返り咲いた。

日本経済新聞 web版  2012年9月3日 15時40分付

文中の「柳井」っていうのは、もちろんユニクロの会長兼社長=柳内正さんです。この記事で、日経は「泳げない者は沈めばいい」を「いかがなものか」といった論調で書いていたわけではありません。むしろ「この強さがいいんだ」という感じでした。
今はかの「週刊文春」が売り場に記者を潜入させてのキャンペーンを張っています。こちらは「いかがなものか」どころか「糾弾」の論調ですが、やはり世間は動きません。

あの時も、世間は日経の論調にことさらに眉をひそめる感じはありませんでした。

(ネットの中では、少しだけ騒ぎになりましたが)

僕らは、今、そういう時代のそういう社会に生きているんだろうと思います。

「二極化する」というより

今「量的な評価」な時代の全盛期が終わって「質的な評価」を重視する時代へと移行していっているところです。従業員〇万人の会社だとか。生産量○万トン、○万食を誇る工場だとか。
そういうことがプレミアになる時代が、街場では「だんだん」、上の方では急速に過去のものになろうとしています。
国の経済力を示す指標も、商品を動かして利益を得るような貿易ではなく、海外への投資や保有する特許の支配力などで量られるようになってきました。先進国ならばこそ、消費額の積み上げであるところのGDPという指標が重視される時代を卒業することが明らかになってきました。

「質的な評価」を重視するのは悪いことではありません。

「統制」が作業効率を高めていくわけではない「知価(情報)生産」時代には、人種や宗教、性差などでの差別こそが非効率になり、遅かれ早かれ、先進国ではダイバー・シティの実現に向け状況が整っていくのでしょう。奪って国土の面積を増やすこと、搾取すべき労働力の有無が国力を表す時代も、同じような理由で、急速に過去のものになっていくはずです。

でも、社会にとっていいことずくめではないのではないか…
「量としての従業員」が、急速に評価されなくなるというのはどうでしょう。

「量としての『人々』」が行き場を失って難民化する…

これで、社会が平和になるのかな。

でも、インターネットがある時代ですから、その変化も、これまでとは比較にならない急速なものになるでしょう。

覆水盆に返らず…
抵抗すれば、さらに混乱を大きくするだけでしょう。トランプさんの政策やUKのEU離脱がそうです。特効薬はありません。

同じ先進国という社会環境の中で「二極化する」というより、マニュアル・レーバーから脱出できなければ、国から国へと流浪する難民になってしまう可能性もあります。

これから始まる変化に、多くの人はまだまだ楽観的ですがホントは正念場です。

人 間

何度か、書かせていただいていますが、僕は「人間」ってイメージの産物だって思っています。

「人間らしさ」っていう脚本を書いて、それを上手く演じようとしている。

そう思っていたら「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を築いたのは妄想力のおかげ」と説く「サピエンス全史」(ユヴェル・ノア・ハラリ 邦訳本は河出新社書房から)という本が話題になりました。

サバンナの負け犬…僕らの実像は弱肉強食な「人類」という動物だということなのかもしれません。殺して食べて生きていくし、生存をかけて殺し合いもする。しかも、僕らは「妄想力」に信用を置いている。

オックスフォード辞典が昨年(2016年)の流行語に選んだのが「脱真実(Post-truth)」。真実を伝える記事より、RT(リツイート)ないしは「シェア」される記事のほうがインパクトを持つ…このことは「サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスが今の繁栄を築いたのは妄想力のおかげ」に由来するのでしょう。そうでなければトランプ氏がアメリカ合衆国大統領に当選するなんてことも、反知性主義と言われる人々が人々の尊敬を集めることもないのでしょう。

理路整然とした真実の描写より「物語(フィクション)」としての説得力を信頼する…

僕らは普段、理性的な人間を自認していますが
その前に、根は「人類」というケダモノであることを忘れてはいけないのかもしれません。