評論家

例えば「ポピュラー音楽の評論家」とか…

1961年生まれの僕が若い頃に活躍していた「評論家」って職種の人たちは、「知らないデータ」を教えてくれる専門職っていうイメージが強かったなぁ。「今、ウエスト・コーストで注目の新人は誰」とか。「このアルバムには〇〇ってアーティストがコーラスで参加している」とか。でも、今になってみると、肝心の「楽曲の素晴らしさ」の部分については、思い切り「主観的な感想」で、論拠は「自分の感性」みたいな感じ…

こういう感じが、今はどんどん変わっていっているんでしょう。データの部分は検索エンジンにかなわないわけだし…

「論拠は自分の感性」で済んでたのは、「みんな」についていかなきゃとか、「みんな」に先駆けてトレンドをキャッチ・アップみたいな消費者のニーズがあった時代だったから。それ故に「教科書(テキスト)」に見立てることができた「評論家=権威」が成立した時代の賜物なんでしょう。

(今でも「あこがれや崇拝の的となるもの、こと」を「ファッション・アイコン」「時代のアイコンとなる」なんていいますが、あの頃の「評論家」さんは、これより「先生」感が強い…だから「教科書(テキスト)」)

「私以外私じゃない」が露わになっていく時代には「論拠=自分の感性」じゃ弱いんでしょう。「そりゃ、あんたは好きだっていうのかもしれないけれど」なんて言われちゃいそうですしね。

そもそも「今、ウエスト・コーストで注目の新人」みたいなデータも必要とされなくなるんでしょう。
ただ、自分が、その時、欲しくなる楽曲かどうか…そういう意味では楽曲の背景にある理屈に詳しいより、ステキな時間をつくることができる「選曲家」の方がアイコンになるのかな。どうみても「先生」が必要とされる時代ではなさそうです。

もちろん、未だ「これまで」という時代にいて「みんな」と暮らしていこうとしている人については「従来どおり」だと思いますが…

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