死ぬ思い

松浦弥太郎さんの著作「最低で最高の本屋」(集英社文庫)のなかに、こんな一節がでてきます。

一生懸命やることは当たり前で、一生懸命は評価の対象にならない。一生懸命かどうかというのは、自分が勝手に考えることで、クライアントや一緒に仕事する人たちに関係ないことだと思う。仕事ですから、やはり結果を出すことが求められます。

松浦さんは、このことをさらっと、それこそ「当たり前」のように書いておられます。 僕も、そうだろうなーと思う方です。
でも、実際のところ、自分に、このことを「課せる人」「課し続けられる人」って、巷では、たぶんマイノリティです、ほとんどいない。むしろ、結果よりもプロセスを酌んでくれーという人が(いい歳をしていても)多い。それが高度成長期期という長い「ぬるま湯」な時代を過ごしてきた後遺症みたいなもんでしょう。

恐らく、仕事ですから、やはり結果を出すことが求められます。と、心底、思える人っていうのは、もう、その時点で、何かにはなっちゃうというか、喰っていける…その稼業が第一希望のものではなかったとしても、なんかやって喰っていけてる…

そうなんだと思います。

でも、これからの時代。結果は出せなかったけれど、苦労したところ、悩んだところは酌んでくれと、周囲にそういうところを期待してしまう人、褒めてもらえれば「伸びる」みたいな感覚を捨てきれない人は大変なんだと思います。

人間、弱いですから、確かに本音では「悩んだところを酌んでくれ」「褒めてもらえれば、伸びる」と思っています。でも、実際のところ他人はそうはしてくれないですし、自分も、他人にはそうしないでしょう。だから、仕事ですから、やはり結果を出すことが求められます。と思っていた方が現実的なわけです。でも、中流の全盛時代、僕らは「悩んだところを酌んでもらえる」「褒めてもらって、伸びる」、どこかにそういう職場があるはずだと夢を見てしまったのです。松浦さんのように賢明な方は、その頃から、そんなはずはないとどこかで歯を食いしばってきたのでしょうが、それ、レギュラーではありません。

一生懸命かどうかというのは、自分が勝手に考えることでクライアントや一緒に仕事する人たちに関係ないことだと思う。

でも、急には方向転換ができない…夢の終わりを追いかけてしまうものです。
もっと時代がシビアになって、死ぬ思いをするしかないかな。でも、その「死ぬ思い」っていうのに耐えられるかどうか…

それだって「課せる人」「課し続けられる人」のようにマイノリティなんだと思います。

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