多数決

土建な工事、農作業までもがAIとロボット。軍事的な行動も、現場はロボットやドローン、つまり、兵士いらずな時代になると、集団生産な時代は完全に終わりになっていくのでしょう。

(シンクロする多数が生産の主体である時代は終わっていくわけです)

そうなると「質(しつ)」を問わない量的な「多数」に軍配をあげるような民主主義も大きく変化する…確かにヒトラーのような存在を誕生させるのが「量的な多数に軍配をあげるような民主主義」ともいえるし、トランプさんのような存在が、国内外に傷跡を残して「次」の時代へと導引していくのだろうと思います。

感情的で社会性のない大人たちはたくさんいます。それは工場労働などの集団生産の現場でシステムの部品になれれば、それ以外のことは知ったこっちゃないという「公」による教育のあり方にも大きな問題があったのでしょう(社会への適応力なく、よくまぁ、これでやってこれたなと思うお父さんたちがたくさんいます。故に、お父さんたちは家庭でも社会でも孤立的です)。

あの頃「武士」というものが階層ごと(短時間のうちに)滅んで、西南戦争を含むいくつかの「武士による反乱」が起こりました。しかし、戦闘のプロであったはずの彼らは、最新の武器で武装した素人(徴兵による)にあっけなく鎮圧されていきます。

これから同様のことが起こるのかもしれませんが、労働の質、生産性においてもAIにはかなわない。時代というのは非情なものです。

AIが主体の時代になれば、ストライキやサボタージュも効きません。暴動の鎮圧に出てくるのも生身の人間では無くなっていくのでしょう。ただ、安倍さんや麻生さん、トランプさんみたいな政治家も「多数決」に値打ちがなくなれば必要とされなくなるのかな。今も「お守役」みたいな人は苦労しているでしょうからね。

市井では「お金」の意味が変わり、多数決な民主主義のあり方、つまり、政治のあり方も変わっていく。「多数」に値打ちがなくなれば「お役所」のあり方だって変わっていくでしょう。
前の大戦の時は、戦争に負けても産業の形は集団生産を主体に継続していきましたが、今度は、そうしたところからして「大きな断層」…生半ではありません。

「マス」な集団生産な時代が終われば優秀な複写機なら食っていける時代も終わります。つまり「これまで」の経験が通用しないばかりか、そこから類推することもかなわなくなります。
確かに「あしたはあしたの風が吹く」なわけですが、あしたの風はとんでもない暴風である確率が高い…事実、1945(昭和20)年にはそういうことが起こったわけです。

誰だって、簡単に回答できないことに悩むのは気重ですが、干殺しに合うような事態だけは避けておきたいものです。
人間、とんでもなく醜いことをしてまで生き延びてしまうのが「性(さが)」なようですから(そうなると辛いですからね)今のうちに悩めるだけ悩んでおきましょう。

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