三色

次の時代になっていると社会が三色になってるんでしょうね。

ひとつは、エスタブリッシュな、絶対的なお金持ちたちの社会です。
全人口に対して、ほんの数パーセントいるかいないか。恐慌にいきあたって財産半減でもビクともしないお金持ちです。

次に彼らのための食品や生活道具、服飾などをつくりだす腕を持つ生産者や技能職。それに彼らの資産を運用のネタになる科学技術やアート、デザインに腕をふるったり、専門的なアイディアを供給するリチャード・フロリダ曰くのクリエイティブ・クラス。そして、その技能職やクリエイティブ・クラスの人々のための食品や生活用品を供給する生産者や工房な人々。この分野は世襲じゃないだけに勃興が効きそうですが、エスタブリッシュやクリエイティブな人たちに愛されるだけの「質(しつ)」をつくり出すには、つくる人にそれなりの生活文化を持ってることが要求されるものです。そうした生活文化を当代に実現するためには、そこに至る数代の努力が必要で、現実的には「天才の出現」以外、勃興は難しいというのが現実でしょう。

故に、このあたりの人々も人口全体の10パーセント程度で、そうそうは増えていかないのかなと思います。

(僕は、擬えれば、高校の野球部全体の中で、甲子園の決勝戦に残る高校くらいな感じがエスタブリッシュで、技能職やクリエイティブ・クラスの人々がベスト8か16か…っていう感じにイメージしています)

そして

80%を超える「ふつう」な人々はベーシック・インカムを主な収入源として暮らし、住居は自らがサンプルになることを前提に製薬会社など大手企業が無償提供するものに暮らす人も少なくないのでしょう。WiFiやスマホなども同様に無料。食料や菓子、酒類などは政府に拠る「配給」かな。教育や医療も、それなりに「公」が用意するのだと思います。

もちろん、100%の労働が無くなってしまうわけではないでしょうが、お金がなくても暮らしていける社会でお金儲けをしても仕方がないので、お金を稼ぐための労働というより、労働は「人助け」的なものになるでしょう。

ただ、徴兵付きかもしれません。もちろん、空爆などの対象にもなる…
今もそうですが、世の中「数でしかない人」には酷いものです。

産業革命の頃なら「数」にも値打ちがあって、故に労働運動が力を持ったわけですが、そのあたりはAIが電気代だけの無償労働で年中無休の24時間営業です。

エスタブリッシュな人たちの権益争いのための「人柱」になる…
それだけが「生かされている」意味になったりするのかもしれない。

労働から解放されても、バラ色の未来とはいかないようだし、
封建時代以上に「階級」は、もっとフィックスされちゃったものになっているのかもしれません。

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