自律的な生活力

1945(昭和20)年8月15日の正午、外出先で玉音放送を聞いた幣原喜重郎は、電車に乗って帰途に就く。
車内で30代の男が叫んだ。「一体君は、こうまで、日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。……おれたちは知らん間に戦争に引入れられて、知らん間に降参する。怪しからんのはわれわれを騙し討ちにした当局の連中だ」。男は泣き出す。乗客も「そうだそうだ」と騒ぐ。
幣原は心を打たれる。「彼らのいうことはもっとも至極だと思った」。幣原は敗戦の日の「非常な感激の場面」を心に刻んだ。

井上寿一 著 「戦争調査会 幻の政府文書を読み解く」より

敗戦後、(実質的に)初の宰相となった人は「彼らのいうことはもっとも至極だと思った」と仰ったようですが、僕はそうは思いません。もちろん今とは比較にならないほどに開示された情報も少なく、(市井においては)「こうまで、日本が追い詰められていたのを知っていたのか」を充分に理解できるほどの教育の機会も与えられてはいなかったのでしょう。でも、市井にだって、早くから「敗戦」を予感して準備している人もいました。うちのひいばあちゃんもそうですが、彼女は読み書きができませんでした。

僕らの場合、現場に威張っている大人はいませんでした。みんな大人は肩身が狭そう。戦争に負けたショックが残ってますからね。

この一節は、秋山ちえ子さんと永六輔さんの対談本「ラジオを語ろう」(岩波ブックレットNo.550)から、永さんの発言です。
ここで言われている「大人」には、同時に「男性」という意味も含まれていますが、こうして大人の男たちが押し黙ったために、戦後のラジオは女性と若者(永さんも当時の若者)で始まったと、永さんは仰っています。
「みんな大人は肩身が狭そう」は、「敗戦」について、多くの男たちに加害者感みたいなものがあったんでしょうね、思い当たる節があったんだと思います。

あの頃に例えれば、今、この国は「敗戦」に向かっていっているのだと思います。
今を、あの頃と同様に過ごして、そのときを迎えた後に「おれたちは知らん間に戦争に引入れられて、知らん間に降参する。」と叫ぶのか。肩身の狭そうな大人になっているのか…

いずれにせよ。「今」の過ごし方でしょう。
罪を問うことはできてもお金は帰ってきませんし、就職の面倒もみてはくれない…

「敗戦」を予測し、どう準備しておくか。

あの頃と同じように、「従う」ことで無難に過ごしてきたら、「あしたから」自分たちで生きてゆけとセルフ・サービスが求められる…

(お役人にとって「敗戦」は、都合のよい理由でもあったでしょう)

だから、だから、自律的な生活力を。

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