等身大に気楽に生きて

磯田道史さんの受け売りみたいになっちゃうけれど、確かに農業や工業においての技術と違って、いわゆるIT技術やAIにおいての技術は二極化を激しくしながら、大半の人々を貧しくするために作用してしまったんでしょう。鉄腕アトムの21世紀には、たぶん想定されていなかったことだし、実際に技術を開発した人たちだって、そんなことを意図していたわけではないでしょうけれど。

でも、結果としては「社会全体は経済成長しているにもかかわらず、1人当たりの収入を減らす『技術』が誕生したのです」(週刊SPA! 2018年1/16・23号 2018年「この国のかたち」より)ということになってしまった。そして、今もこの状況は加速度的に深刻化の一途をたどっています。

トマ・ピケティ氏が膨大な資料を分析して「少なくとも500年ほどは本格的な下剋上は起こっておらず、どの国でも資産家/特権階級は資産家/特権階級のまま」ということを明らかにしました。例の「わずか数%の人々が世界中の90%以上の富を所有している」というやつです。
その状況下に「知価と呼べるような情報を創り出す機会、AIが追いついてこれないような技能を持つ機会」に恵まれた者だけは、少しだけ暮らしを楽にすることができるのかもしれませんが、それだって少数に過ぎないのかもしれません。とても不幸なことに、当代の努力だけでは、知価と呼べるような情報を創り出すこと、AIが追いついてこれないような技能を持つことは不可能である可能性が高いからです。

トマ・ピケティ氏は「大きな戦争があった時だけ」ほんの少し下剋上が効くという分析結果も示しました。
つまり戦争で手柄を立てると「上」に上がれるかもしれないのです。日本の華族制度の中でも、そうした軍人たちの一群がいて「軍功男爵」などと呼ばれていました。

でも、それでステイタスが得られ、お金持ちになっても幸福になれるのかどうか。かの乃木将軍は二人の息子を戦死させ、自らも奥様とともに自刃です。

考え方を変えてみたらどうでしょう。

お金や資産を保有する「量」を目標にするのではなく、いかに自由でのびのびと生きれたかどうかを尺度にする。それが短命でもいいし、借り暮らしで終わってもいい。一人ぼっちでも「気楽」に生きた方が勝ち…みたいな。もちろん「知価と呼べるような情報を創り出す機会、AIが追いついてこれないような技能を持つ機会」に恵まれた人はそれを目指すのもいいけれど、これも当代の努力では届かないのかもしれないし、その道も幸福に満ちたものかどうかはわかりません。「置かれた場所で咲きなさい」ではないけれど、それぞれに与えられた人生をそれぞれに楽しんだ方が勝ち。もういいやといって笑って死ねることを目標にする。

僕はね。そもそも、人殺しの軍功を積んで華族に列せられるより、その方がうんとカッコいいと思うんです。

なにしろ、縛られないことですかね。それが最後の抵抗のように思います。

隣の芝生は蒼く見えるものですが、等身大の人生を無理せず楽しむっていいもんなんじゃないでしょうか。
だって、あとは世の中が悪いんだし、自分より前の世代に要因があるらしい。しかも蒼く見える芝生の家に住む人も、そんなに幸福じゃぁないらしい(だから、安倍さんは慢性の下痢ピーに悩まされているのでしょう)。
他人を巻き込まなきゃいいんだと思います。あとは等身大に気楽に生きて…

僕などは「一人」が好きなので、孤独死でもいいやと思っています。

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