連合軍に参加させてもらいんだろうな。でも、どうやったら参加させてもらえるかなんて誰にもわからないから、あらゆることを試している。テロ特措法も9条のことも、あるいは陸上のイージス艦のこともそうかもしれません。そして、つまりは、それくらい、この国は追い込まれているということなのでしょう。

(だからと言って 安倍さんたちがやっていることを支持するものではありません。どんなことがあっても、やっていいことと悪いことがあります)

こうした持続的な利子率低下が意味しているのは、投資をしても利益が生まれない状況があり、これを変えていくために利子率を下げて投資を喚起するのだけれども、それでも投資が拡大しないのでさらに利子率を下げていくという状況です。この循環が進んでいけばどこかで一定の資金は回り始めるでしょうが、そこから得られる利益は薄いので、実は投資が増えたように見えてもそれほど儲かっていないのです。

吉見俊哉 著  「大予言 『歴史の尺度』が示す未来」(集英社新書)

この飽和状態をなんとかしようとするなら、現在の経済(社会)体制を抜本的に変えてしまうか、本気の社会改革を含んだイノベーションを起こすことですが、当然、既得利権との衝突が必須になりますから、仮に正義の味方的な政治家が現れて、それを大衆が支持しても、やがては「骨抜き」にされてしまうのがオチです。また、こういうことって、国民ひとり一人にけっこうな我慢と努力が要求されるものですから、そういった面でも社会体制の変革やイノベーションは難しいことでしょう。

故に特効薬になるのは大災害か戦争…実際に過去の戦争はそういう役割を負ってきた部分があります。とてもとても悲しいことですが。

僕らの大半が、貧乏でも病気がちでも早死にでもいいや。結婚も子どももいいです…って価値観になったらどうかな。
逆に、できるだけ楽チンに現状維持か、あるいはそれ以上を望むと、確実に「戦争」なんでしょう。

1930(昭和5)年から翌1931年(昭和6)年にかけての昭和恐慌のときも、中国大陸への進出で他国の権益をむしり取りながら余剰人員を(大陸に)押し出して、経済的な苦境を脱してました。でも、そのことがご承知のように、他国との軋轢を生み、やがては全都市を焦土にされながら、国債などの財産も紙くずになり、徴兵で肉親の命を奪われながらの敗戦ということになったわけです。我が子の死を目の当たりにしながら、断腸の思いで外地から引き上げてきた方もいらっしゃいます。

「歓楽極まりて哀情多し」というやつでしょう。博打は博打です。

でも、博打打ちはいなくならない。こちらは「わかっちゃいるけど、やめられない」というところ。

あのときも、日本だけでなく世界が恐慌という状態にありました。そして、今も状況は似ている。先進国のどこもが多かれ少なかれ「投資をしても利益が生まれない状況があり、これを変えていくために利子率を下げて投資を喚起するのだけれども、それでも投資が拡大しないのでさらに利子率を下げていくという状況」に置かれている。

来年はどうなるのかな。平昌のオリンピックは何事もなく開催され、無事に終わるのか。次の東京五輪は…

僕らは五欲とともに生きています。

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