教科書なんてなかったはず

結局、僕は「ただいま」「お帰りなさい」と言い合えるような「場所」をつくりたいんだと思います。コミュニティな壁が高いんじゃなくて、風通しがいいやつ。出入り自由。常連が壁にならないような空間…

一見、難しそうですが、できなかないんです。

何度か、書かせているように僕の母系は、ひいばあちゃんがつくった非血縁家族の大所帯です。でも、そのなかに生まれてみると、非血縁な集合体だなんて思ったことはありません。なにしろ、僕の人生上「最も尊敬する人物のひとり」であるところのひいばあちゃんと僕も血がつながっておらず、しかも、それを知ったのは、ここ最近のことです。

僕だけではありません。昭和3年生まれの叔母(この叔母とも血縁関係にはありません)。で、この叔母がつくづく、うちのひいばあちゃんを、ほんとうに自分のおばあちゃんなんだろうと、ずっとそう思っていたというのです。
うちの冠婚葬祭には、こんな人ばっかりが参加しています。誰とも血がつながってないに等しいような…でも、子どもの頃の僕は、どうして、うちには、こんなにたくさん伯父さん、伯母さんがいるんだろうと、そう思っていたくらいで、他人とは思ったこともないのです。

(でもベタベタはしてないな。永のご無沙汰な人は永のご無沙汰だし、何より社交辞令的な気遣いがないな)

ちなみに、うちのオヤジの病のためにとオフクロが電撃引っ越しをしたマンションの鍵を、前出の叔母はフツウに持っていて、たまに僕が顔を出すと、その叔母だけがいて、お茶を飲んでいたりもしました。で、僕も、お茶を入れてもらったりして、世間話をしたりしている…核家族的なところから考えると違和感のある構図ですが、僕には、ちっとも不思議ではありません。今は、しっかり非血縁だということを知っていますが、そういうことで、こういう関係は変わるもんではないのです。

あかの他人が夫婦になれるのだから、非血縁が家族になるのも可能なんじゃないか。「実際、うちはそうだし」と思います。

(ご町内の全ての人とも親戚ぐらいの距離感だったと思っています)

そして、こういう関係を産み出したのは、命の遣り取りであり、命の貸し借りです。叔父や叔母たちの話しを聞いているとそうです。たぶん、趣味のサークルとか、マンションの管理組合みたいなところからは、こういう関係は生まれません。
でも、幸か不幸か、わが国は、また「命の貸し借り」をしなければ生きていけないような状態になってきました。少なくとも、高度成長期から80年代末のバブルの頃までは、そうしたことをしなくても生きていけたので、わが家のような非血縁家族は生まれなくなったし、廃れてしまったのでしょう。でも時代の状況としては、また、それが必要されるような感じになってきています。

一端、止めちゃいましたから、スーっとはいかないでしょう。でも、再び、そうなることは不可能ではありません。

僕にとっては全て手探りですが、ひいばあちゃんだって、そうだったはずです。
明治の末に女だてらにヨコハマで一人。教科書なんてなかったはずですから。

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