お城

himeji_joh
いつだったか、瀬戸内に行ったとき、帰りの新幹線の車窓から撮った写真…
中央、左奥に鎮座しているお城は、ご存知、国宝「姫路城」です。

僕は、この姫路にお住まいの、とある技能職のおじいちゃんの話しが、ずっと心に残っていて、今もときどき思い出しては、いい話しだなーと思ったり、不可思議な感じがしたり…

そのお噺です。

姫路市には2回の大きな空襲がありました。
まず、昭和20年(1945年)6月22日、これは当時姫路市内にあった川西航空機の工場がターゲットにされたもの。しかし、ありがちな話しですが、工場だけではなく、付近の民家や道路、水道設備なども破壊され、死者341人、行方不明10人、重軽傷者350人、罹災者10220人と民間人を数多く含んで、大きな被害が出ました。
さらに、同年の7月3日深夜から4日未明にかけて市街地全域が焼夷弾攻撃を受け、総戸数の40%が焼失。死者173人、行方不明4人、重軽傷160人、罹災者45182人という被害を受けます。当時の姫路市の人口は107643人だったそうですから、実に半数以上の方々が罹災されたことになりますし、生活者の視点からすると、半分というより、姫路の全部が焼け野原になってしまったような印象があったようです。

ところが、なぜか姫路城は焼けませんでした。
あえて外したのか、当たらなかったのか…いずれにせよ、あんなに大きな城が焼けなかったのです。

当時、陸軍の幼年学校に居たおじいちゃんは、敗戦後、この姫路に帰って来るのですが、焼け野原になってしまった故郷に愕然としながらも、お城が大丈夫だったことが心の底から嬉しかったとおっしゃっていました。ちなみに、おじいちゃんの家は丸焼けです。でも、凛として聳える天守閣を見上げるたびに、まだ大丈夫だと元気が湧いてきたというのです。

僕は、その感覚が判利ませんでした。
幸い、ご家族はご無事だったようですが、それでも、おじいちゃんは全財産を失っているのです。

これが、お城がある町に暮らす人たちの感覚なのかと思いました。

それにしても、姫路城の何がおじいちゃんを励ましたのでしょう。そうした存在のないヨコハマ育ちの僕は、さっぱりわからない部分です。

ヨコハマは東京の植民地みたいな都市。よそ者が好き勝手のし放題をやって潮時が来れば「引き上げちゃう」街ですから、「街の歴史」は、いつだって賽の河原みたいな状態にあります。

(実際、開港から数えれば160年足らずの歴史しかない街なのに、アバウト30年くらいで主幹産業が入れ替わっちゃう街ですから、勃興と没落の繰り返し。三代続く家が稀です)

おじいちゃんの気持ち…さっぱり判らない。
でも、だからこそ、そんな「心の柱」みたいなものを持っているおじいちゃんを羨ましく思う気持ちがあるのです。

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