過ぎたるは

北海道夕張市出身の建設官僚、高秀秀信が横浜市長に就いたのは前述したように(すいません、この「前述」については省略させていただきます)90年。83年に着手した「みなとみらい21」の土地区画整理事業は対象面積が92年から約96ヘクタールに拡大(現在約102ヘクタール)され、商業ビル・道路・地下鉄などの建設・整備が急ピッチで進んだ。
高秀は、自民党最大派閥・経世会が後押ししていたこともあり、梶山静六や小此木(彦三郎)との繋がりを持っていた。一方、菅は横浜市議一回生ながら「当選一回も二回も市議団の一員としては同じ資格のはずだ。団長や議長候補を決める際に、我々の意見を聞いてほしい」と物怖じせず発言するなど、市議会でも際立つ存在だった。小此木は高秀に、「人事でわからないことがあったら菅に相談してください」と助言し、高秀自身も市の力関係、人事を知り尽くした菅を頼りにした。当時、自民市議らがやらなかった市幹部らとの朝食会なども菅が常態化し、高秀との連携も密になる。菅は市議二期目途中から「影の市長」と囁かれるような存在になっていた。

松田賢弥 著
「影の権力者 内閣官房長官菅義偉」(講談社刊 2016年)から

たぶん経世会が横浜市政に招いた北海道生まれ、北海道大学卒の建設事務次官が「横浜村の機微」など知ろうはずもなく、「市幹部らとの朝食会など」にも熱心で、故に「市の力関係、人事を知り尽くした」官房長官が市政の実質をコントロールしていただろうことは想像に難くありません。この後、官房長官の独裁に嫌気した横浜市郊外区の住民が中田宏市長を実現して、この体制にレジストしますが、彼もまた「横浜村の機微」に通じていたわけではなく、彼が重用した市役所内の反対勢力の横暴さというか不器用さもあって、スキャンダルを仕掛けられたり、中心的なスタッフのたて続けの「死」も重なって、彼は辞職。その後は絵に描いたような報復人事と政策転換(例えば中田市政の基本姿勢の一端を示す「協働」という言葉が、市役所の中では次々と「共創」に置き換えられていったり)で現況に至るというわけです。

満州からの引揚者の息子、故に苦労して一流とは言い難い大学を卒業しただけの官房長官が、なぜ、今日の地位を築けたか…
それは役所の人事を握ること。さほど優秀でもない「フツウのお役人」に目をかけて、自身は裸の王様の側について「フツウのお役人」を地位に就けてしまうことで行政を牛耳るというスタイルを発明したことに拠ります。

でも、官房長官は政令指定都市と雖も一地方都市である横浜市と、この国の政府の質的な違いが読めていなかった…

政府はね、横浜市役所のようにはチョロくはなかったというわけです。もちろん国政は耳目を集めやすい。近頃はマスコミの目だけじゃなく、インデペンデントなジャーナリストだってSNSやYouTubeを背景に元気です。

それにね。やっぱり知識と経験が要求される…なにしろ国政ですからね。

横浜あたりでなら、加計さんみたいな巨悪も出てこないし、出てきたとしても「地方版」の出来事。握りつぶそうと思って潰せないものでもないんでしょう。議員さんやマスコミのうるささも違います。

たぶん「加計さん」という存在は安倍さんとその取り巻きの中での出来事で、官房長官が直接的な利害関係者ではなく、王様に気を遣って「申し開き」に終始したただけなのだと思います。

そのあたりが哀しさですね。

秋田から出てきた引き揚げ者の子が政令指定都市の市会議員になっただけで充分だったのに。

絵に描いたような「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という一席でした。

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