若者の多くは沈むでしょう

よりよき選択肢を見つけられることをクレバーだと思っている、そんな若者が少なくありません。つまり、選択肢が与えられるまでは待っているのです。学校にしろ、就職先にしろ、選択肢が与えられるのを待って選択し参加する。参加したら与えられた業務を処理する…

いくら「よりよき選択肢」を見つけられても(見つけられるようになっても)、このベクトルに「創造」はありません。何しろ誰かが選択肢をつくってくれるまでは「待っている」のですから。

工業生産時代には「よりよき参加」を目指すのもひとつの考え方でしたが、知価(情報)生産時代になると、就業者一人ひとりが情報の生産者であることが要求される。そして、マニュアル・レーバーは買い叩かれる、無人化も襲い来る…就業者の都合など御構いなしに。消費者である僕たちが「より良いものをより安く」と求めつづける限り。

たぶん、若者の多くは沈むでしょう。彼らのせいというより、教育をはじめとした社会制度のせいなのですが、被害を被るのは彼らです。

でも、彼らは無防備です。無邪気ともいえる。墨俣の一夜城のような変化ですから仕方ないんですが、ガラッと変わってしまった時代を長く生きなければならないのは彼らです。

なんだか切ないなぁ。そして他人ごとではない。

敗戦直後に備えつつ、その後の新しい時代にも備えなければならない。生半ではありません。

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