必定であるということ

「世間」なり「周囲のみんな」を見回している人は、たぶん、この時代の波に呑まれます。「とりあえず、みんなの意見を聞いてみよう」とか。大勢の中にいれば目立たなくていいんじゃないかとか。これは年齢に関係はありません。どの世代でも、むしろ多数派といえるのかもしれません。つい最近までの社会通念であり、ご家庭でも、親御さんだって、そういったことを暗に推奨してきたでしょう。

でも、「みんな」で「一斉に」に価値のあった時代には、大正解ではなくとも及第点的な正解ではあったのだろうと思います。

ただ、何度か申し上げているとおり「みんなで、一斉に」に価値のあった工業生産時代はもうすぐ終わります。巷を見回せば、僕が子どもの頃に比較して「工業生産」はさらに生活の細部に入り込んで広がっているようですが(例えば、昔は町の大工さんが造っていた木造住宅でさえ、工場で一括生産された部材を組み合わせる「工業生産品」になっているというわけです)、キャッシュ・オン・デリバリーのcafeやスタッフの入れ替わりが激しく「馴染みの店」をつくることに寂しさを感じるようになっている僕らは「一億総中流」で「標準世帯」、つまり、システマチックで「大量生産・大量消費」な世の中に居心地を見失って「自分らしさ」を求め始めはじめています。一昔前、自分から正社員の道を外れて「フリーター」を目指す若者が増えたのも、そうした志向の変化を象徴していたのでしょう。

再開発地だけでなく、場末の町並みまでが画一的な建物に占領されてきて、さすがに「大量生産・大量消費」に違和感を覚え流ようになったのかもしれません。

いずれにしろ、「工業生産時代」を終わらせていくのは僕らでもあるというわけです。

工業で国が富めば、人件費の高騰と自国通貨が強くなってしまうことで工場を海外に流出させる。どこの先進国でもそうだし、先進国になろうとしている国の「未来」もそうです。僕らは、この「必定」を認めなければなりません。そして先進国に留まりたいのなら知価(情報)生産力を持つべきだし、そうでなければ、これから先進国になる国へと転出していかなければならないのです。

マニュアル・レーバーは相変わらずだが、収入もそれなりで、街角の安全も確保されている…そういう場所は現実には存在しないと思っていいのだと思います。

自分の人件費が上がり、僕らが「より安く」を求めれば工場は海外へ。コンビニエンスを望めば「無人化」。そのオーダーがあってシステムは進化し、僕らは「働く」を失う。そして、その頃になれば、必ずしも「消費者」がいなくても「産業」は成り立つようになっているかもしれない。当面は発展途上国に消費者はいます。

すでに立派な先進国になってしまっていたこの国で、マニュアル・レーバーな感じを維持しようとして、たくさんの公費が使われて、この国の政府も大半の自治体も借金だらけになり、労働生産性は先進国の中でも指折りに「低い」水準のものになりました。

もう限界が近いのでしょう。

でも、マニュアル・レーバーな感じを維持したいから「戦争」という大博打に出る…

合衆国は、その大博打に一度勝ってしまったからトランプさん誕生の温床になった「ラストベルト」を生んだのでしょう。そして「合衆国」は、あの頃の「共産圏」のように終焉を迎えていく…

そして、このことに象徴されるように世界中の先進国で政府という「公」は力を衰退していくでしょう。

たぶん次は「自治する都市や村」と、逆に「国際的な規模のメガ私企業」の時代です。

「自由」を優先するなら前者だろうし、「楽チン」を優先するなら後者の方でしょう。戦争の後にそうなるのか、戦争を回避できてそうなるのか、いずれにせよ、まだ見ぬ社会を自分でイメージしながら前に進んだほうがよさそうです。

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