引用

3月10日から

もし、きょうが昭和20年の3月11日午前4時過ぎだったとしたら、爆撃の終了から2時間とたっていない時刻です。まだ街は火炎地獄だったでしょう。生き残ったみなさんも、まだ焼かれながら逃げ惑い、冷たい川に浸かって必死に気力を振り絞っていた…もちろん、多くの方が、肉親や親友たちの安否を確認できずにいて、手足や、耳、眼を失うような大けが、大火傷をされた方もたくさんいらしたはずです。僕ごときが想像できるような,生易しい状況ではなかった…

やはり、僕らの「想像」では追いつかないと考えた方が良いのでしょう。

僕らにできることは「知る」こと。学校では軍部の暴走みたいなイメージを教えられてきたような記憶がありますが、どうも、そういうことでもないらしい。安部さんのおじいちゃんあたりが中心人物なのかもしれませんが、官僚側にも、どうみても加害者的な人たちがいる…軍幹部というのは、そういう面では上手く利用されていた節もある…どうやら「軍部の暴走」は的外れのようでもあります。

教えられるのを待つのではなく、自分からすすんで知る姿勢を持ち続けること。
大切なのはそのあたりです。

日本軍は、当時の中華民国首都=重慶を3年に渡って、爆撃し続けた、それも無差別爆撃であった…合衆国との開戦前に日本軍によって行われていた重慶爆撃は、恐らく、世界でも最初の組織的な空爆作戦であり、この作戦が後の、連合軍によるドレスデン爆撃や、逆にドイツ軍によるロンドン空襲、そして、日本各地を襲った合衆国軍の空襲、原爆の投下にも繋がっていく…そういう意味では、第二次世界大戦における各国の航空勢力の肥大化にも影響を与えたし,ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク攻撃など、すべての「爆撃」作戦がこの系譜に連なるものであると…この「戦略爆撃の思想 ゲルニカ 重慶 広島」には、そんなことが、丹念な記録の検証とともに綴られています。

宮崎駿さんの「もののけ姫」。あの映画の中で、アシタカは「恨」の気持ちと戦い続けています。タタリ神には、「恨」に身を滅ぼされた、その成れの果てというイメージが重ねてあったようにも思えました。そして、エボシは、世の中に言われない差別された人たちを擁護し、みなの尊敬を集めますが、武器を取って闘う人でもあります。

みな、ある側面からみれば正義の味方です。でも彼らに加害がないとはいえない…
あまりにも重い課題ですですが、僕らは知って、考えなくてはならないのでしょう。
二度と繰り返さないために。二度と巻き込まれないために。

f0006046_19424125戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島 新訂版(かつては上下巻に別れていたようです)

前田 哲男 著
凱風社   刊

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