1961年生まれの僕は、もちろんデジタル・ネイティブな世代ではありません。それなのに仮想通貨が金融業界を劇的に変えていく社会を体験しなければならないのです。しかも、高齢になってから
「貯金」という考え方が根底から消え失せる。土地の資産価値が消える。就職先としての銀行だって消える…
まぁシンドイわけです。
たぶん国家も「まず、ありき」なものではない時代も体験するのでしょう。
工業生産時代が終わり、知価(情報生産)時代になり、小型で軽くて持ち運べるコンピュータとクラウドがあれば、異ジャンルの学者やクリエーター、デザイナーなど情報の生産者が出会えて話せる「cafe」みたいなところが最も「稼ぎがいい」場所になり、東京ドームいくつ分なんていう広大な工場や超高層なオフィスビルは無用の長物になり、小さな街(町)や村のどこかが隆盛になり、国家は「広大な工場」のように無用の長物になってしまうはずです。
テレビ番組もman-to-manディフェンスです。各人にオートクチュールな番組構成です。テレビの話題についてけないとクラスで仲間外れになるということもなくなっているのかもしれません。それ以前に、同窓生みたいに「同じ学校を卒業した」が各人を結ぶ紐帯として生き残っているかどうか。友だちなどの「つながり」も同郷や同窓などを離れて、もっと自由でオートクチュールなものになっているでしょう。
こういうことだって、たいていは、しなやかに「次」にはいけないもんで、かつてのブラジル移民の中にあったという「勝ち組/負け組」みたいな混乱を生むわけです。
磯田 道史さんが「戦国時代にだけは生まれたくないですねぇ」と度々おっしゃっていますが、そんな感じかなぁと思っています。
江戸時代が終わって明治になって「散髪脱刀令」が明治4年。260年続いてきたものがたったの4年、しかも満足な準備期間もナシに近い…たいへんだったと思いますけど、たぶんね、そんなもんじゃない。変化は世界的なわけだし…
しかも、昭和22〜24年の3年間で806万、前後1年ずつを足して5年間で見れば1000万人を超える団塊の世代が一斉に後期高齢入りし、無人化が人の仕事を奪ってく時代と、大きな断層のような時代の移行期が重なっている。
まぁ、戦国時代でしょう。
しかも、戦国時代の平均寿命は一説に33歳ですが、これから先は大手を振って医学が発達して死ねない。
僕の脳出血のキャリアでさえ、あと3年で再発しても後遺症なしで助けるなんて話しもあるんです。
無間地獄だなぁ…と。