奇 跡

僕は、1961年生まれです。もちろん工業生産時代に育ってきて「工業生産時代の学校教育」を受けて育ってきました。

その学校教育…

マニュアルを理解して、そのマニュアルに沿って自分の行動を制御するということを教わって、つまり、大きな仕組みの部品にはなれても、蒲田の小さな町工場で部品を工夫する技能職になれるような素養を身につけさせてもらったとはいえない…
その一方で、テレビや雑誌で紹介されたファッション・スタイルを鵜呑みにして、着こなして、賢い消費者になる…つまり、手懐けやすい消費者をつくるためのような情報の中で育ってきた…

マニュアル・レーバーを叩き込まれて、扱いやすい消費者になるための情報の洪水の中で生きてきた。

考えてみれば、音楽や美術の試験問題も「虫食い」でした。学校がいう「これが美しい」が正解で、生徒は「おっしゃる通り」と、それを憶えるわけです。

「大切なのは疑問を持ち続けることだ。神聖な好奇心を失ってはならない」といったのはアインシュタインですが、彼ほどの才人でなくとも、新たな工夫や発見は疑問を持つことから始まり、少なくとも「これまで通り」ではありふれた道具の生産さえもおぼつかないのが現実でしょう。

複写機にはなれても、生産者にはなれない…それが工業生産時代の教育で育ってきた子どもたちです。

たいていの人はマニュアル・レーバーに就いていることを「生産」と思っているでしょうし、ただただ手懐けられている消費者に過ぎないのに、その状況に気づかずに、自分を「賢い消費者である」と確信しているでしょう(多くの場合、まさか「騙されている」とは考えていないはずです)。

しかも「コピー」「複写」なら、人工知能とロボットが鉄人です。これからの時代に「優秀なマニュアル・レーバー・ワーカー&賢い消費者」なパーソナルはどう生きていけばよいのか…ということです。

たぶん、多くの人が路頭に迷って生成りでしょうね。そうでない状況が生み出せれば、それはもう奇跡です。

しかし、そこを転換するのが至難の技。しかも「公」は手を差し伸べてくれません。自分の現状を冷静に客観視し、その自分を「これからの時代」に合わせてアジャストする…これがみな自助努力です。

難しいでしょう(改めて言いますが)。

いわゆる「茹で蛙」な状況で、多くの人が路頭に迷うのだと思います。そうならない方が奇跡です。

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