「二極化する」というより

今「量的な評価」な時代の全盛期が終わって「質的な評価」を重視する時代へと移行していっているところです。従業員〇万人の会社だとか。生産量○万トン、○万食を誇る工場だとか。
そういうことがプレミアになる時代が、街場では「だんだん」、上の方では急速に過去のものになろうとしています。
国の経済力を示す指標も、商品を動かして利益を得るような貿易ではなく、海外への投資や保有する特許の支配力などで量られるようになってきました。先進国ならばこそ、消費額の積み上げであるところのGDPという指標が重視される時代を卒業することが明らかになってきました。

「質的な評価」を重視するのは悪いことではありません。

「統制」が作業効率を高めていくわけではない「知価(情報)生産」時代には、人種や宗教、性差などでの差別こそが非効率になり、遅かれ早かれ、先進国ではダイバー・シティの実現に向け状況が整っていくのでしょう。奪って国土の面積を増やすこと、搾取すべき労働力の有無が国力を表す時代も、同じような理由で、急速に過去のものになっていくはずです。

でも、社会にとっていいことずくめではないのではないか…
「量としての従業員」が、急速に評価されなくなるというのはどうでしょう。

「量としての『人々』」が行き場を失って難民化する…

これで、社会が平和になるのかな。

でも、インターネットがある時代ですから、その変化も、これまでとは比較にならない急速なものになるでしょう。

覆水盆に返らず…
抵抗すれば、さらに混乱を大きくするだけでしょう。トランプさんの政策やUKのEU離脱がそうです。特効薬はありません。

同じ先進国という社会環境の中で「二極化する」というより、マニュアル・レーバーから脱出できなければ、国から国へと流浪する難民になってしまう可能性もあります。

これから始まる変化に、多くの人はまだまだ楽観的ですがホントは正念場です。

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