協調性ナシ

僕にはね。今こそ「みんな」についていくメリットが感じられないんです。

リーマン・ショック以降、多くの人が激務で、勉強するゆとりはおろか、世の中の変化にだって疎くて、ひたすら会社のデスクと狭い人間関係の中で「日常」をやりくりするのに手一杯。薄々は「AI」「人工知能」の侵略に怯えながらも有効な対抗手段は打てない…時間がないから。下手をすれば「寝る時間」さえない。

でも、僕らが慣れ親しんできたマニュアル・レーバーな時代は近く終わるんです。

そのスジが通ってなければ、アマゾン・ゴーだって、クルマの自動運転だって、こんなにも実用実験には至らないでしょう。現実に、僕らは、運転士さんも車掌さんもいない電車に、無人のホームから乗ってるんです。これが「電車」で終わるわけがない。

ところが時間がない。どうやって対応したらいいのか、その方法も思い浮かばない。最善の選択が「しばし、忘れること」だったり。

たぶん…」これが「みんなの実情」です。

幸いにも、僕には(倒れて以来)「みんな」に比べれば考え、実験する時間があって、個人で自営なので、組織のしがらみもない。故に、一人で情報を仕入れて、自分の適性を確認して、企画を立て、淡々と実験に移せばいいわけです。

つい最近まで、それでも「みんな」というか「世間」を気にしていましたね。「多数決の多数」と言い換えてもいい。何しろ、圧倒的なマイノリティですからね。自分の方が間違っているんじゃないかと疑いたくもなるわけです。

でも「多数決」って「ある意見と同じか、似ている意見を持つ人が過半数より多かった」ということを確認することではあっても、その意見が的確なものかどうかを査証する仕組みにはなっていないわけです。

ああ「みんな」で間違えることもあるわけか。

そうじゃなきゃ、国中を焦土にしてしまうような負け戦に、国を挙げて踏み出すようなこともない…

あの時の国民の多くがアメリカを知らず外国を知らず、大艦巨砲の時代が終わったことを知らず、空爆、焼夷弾の恐ろしさを知らず、ただただ政府を信じて毎日を過ごしていたように…

現在の「みんな」も、あの時と同じように生活に追われ、戦局に疎く、結果的に準備を怠っているのかもしれません。

やっぱり、ついていく気にはなれないな。通知表に「協調性ナシ」って書かれちゃいそうだけど。

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