一国二制度

工業生産だけでなく農業生産だって、僕らは「みんなで」を基軸に、その方法を洗練することで生産活動を発展させてきました。そして生産されるものを「みんなで」分けるなり、大量生産・大量生産の時代には、生産されたものを「みんなで」買って企業を存続させもしてきました。

でも、海外への投資や特許・著作権収入は「みんなで」に拠る生産活動ではなく、あくまでも個人プレーです。そして従事できる人も「少数」。農耕時代から考えれば、大昔から取り組んできた「みんなで」の常識が崩れていくわけです。一見「みんなで」の消費が効かなくなれば投資も特許もないだろうと思えなくもないのですが、金融経済は「描いたストーリー」にお金をつけていくようなところがありますから、必ずしも実態に即したものではありません。「みんなで」の消費が効かなくなっても、誰かはそれなりの筋書きを描き、その筋書きに相場師は値段をつけていく。古くはオランダのチューリップ・バブル(17世紀)、1980年代末の我が国のバブル経済、サブプライム・ローン、リーマン・ショック、全てが実態に即していれば「起こっていなかった」経済的な災禍です。

これからは「公共」が主役になっていくのかもしれませんね。ベイシック・インカムしかり、多くの人が、いわゆる「公共的な福祉」によって生き延びるようになるのかもしれません。少なくとも、大多数の人が「次の時代」に適した働き方を見出すことができない(工業生産時代から知価(情報)生産時代への)移行期においてはそうなるのでしょう。数百年以上続けてきた「みんなで」の時代は、そう簡単に終わってはくれないはずです。

いわゆる田中派・竹下派的な時代に補助金漬けになった農業者、中小の商工業者については「看板は民間人でも、その実態は公務員ではないか」という見方がありますが、その見方が的を射ているとすれば「食えなくなる」を「公費で養う」は、すでに実績があるということができるのかもしれません。

戦後は一億総中流だった、この国が、ツートーンに分かたれていくんでしょう。一国二制度と言い換えた方がいいのかな。

いずれにせよ、配給制度が復活するのかな。のんびり生きられるのなら「それもありかな」と思うんですが
そうは問屋が卸してくれないんじゃないかな…代わりに「兵役」とかね。

お役所の「僕らのために」はお為ごかしなことが多いですからね。かつての移民政策だって「話半分」どころじゃなかったでしょ。

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