時代はそれだけ大きく様相を変えている

僕は、なんだかんだって「食っていく」に「合理的なこと」に、世の中はやがて沿っていくのだと考えています。
かつての「サヨク」的な机上の理想論でも、かといって反知性的なパッションでもなく、ひたすら「『食っていく』に合理」。それならば、多少、気に食わなくても従っていくのが「世間の人々」なのかなと、僕はそんなふうに思っています。

そして、これからのこの国は、海外への投資、特許の使用量、日本文化に根ざした創造の産物、豊かな手業、技芸などの外貨収入を元手で食うようになり、それらは工業生産なマニュアル・レバーとは違って100人に5人以下の変わり者だけが生産力となって稼ぎ出される知財です。

利益率は膨大で「全体の5%以下の変わり者だけ」で一国分の富を稼ぎ出してしまう…

だから、少なくとも「変わり者」「みんなに参加できない者」を蔑ろにできなくなってくるはずだと思うんです。政府も彼らの存在を軽視することはできない。だからフリー・スクールを認め、パラリン推しなんでしょう。

(つまり、僕は、政府施策が正義に近づいたというより、経済的な合理性を求めての「打算」なんだろうなと思っているというわけです。それでも、少数にスポットが当たることはいいことだと思っていますが)

ただ、ここでいう「変わり者」は、よほどの「変わり者」。
それこそフリー・スクールでもなければ登校拒否となってしまうようなレベルの「変わり者」です。

一方、変わってはいるが、通常の「クラス」になんとかついていける者となると事情は違ってきます。

マニュアル・レーバーか、そうして働く人々(現場)を管理している新・中間層な人々(いわゆるフツウの人々)は、椅子取りゲームの「椅子」がどんどん少なくなっていく中で、よりストレスフルに(人生かけてのストレスで)イライラしながら、ちょっとでも同調を乱す人を排他していきながら、また排他されたことを社会への暴力に向けながら、やがては中流として座る「椅子」を無くして、多くの社会学者や経済学者が予測するように「下流」化して、中流としては消滅していくのでしょう。

不幸なことに「いじめ」「通り魔的な犯罪」は、新・中間層の座る椅子の消滅傾向が続く限り、当分の間、続いてしまいます。

遅くとも、今後10年ほどで「標準世帯」「一億総中流」の時代は終わりです。すでに水面下で大きな変化は始まっています。
でも、誰かが公的に手を差し伸べてくれるようには思えません。

最近、いわゆるカタカナものの、それも「敏腕」といわれた人が、ご家族と一緒に、地方の小さな港町に移って、食堂で働きはじめました。年収は4分の1になったそうですが、彼の東京での仕事仲間の誰もが、彼を羨ましがりました。

時代はそれだけ大きく様相を変えているのです。
手をこまねいている場合ではなさそうです。

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