長寿かぁ

本来、百花繚乱といっていいほど個性豊かな「個人」を学校教育の過程で「粒ぞろい」な感じに揃えてしまったわけです。でも、そうやって膨大な「フツウ」っていう人たちをつくってしまうことについて、間違っているとかゆめゆめ思わなかったのが工業生産時代ですね。だから、工業生産時代只中の1961年生まれの僕ら(の世代)は「フツウ」への違和感を感じても、その違和感の方を否定してしまう…
一方、マニュアルや命令を理解するために言語を理解することには一定の能力を示すことはできても、感性の部分については我流に過ぎて、その人の持つ「個人の文化」っていうんでしょうか。そういうところは、いい歳になっても確立されていない場合が多くてね。

化学方程式とか、なんかの原理、理論とか数字や言語で説明できる部分は判るんだけど
布地の手触りみたいなことになると、自分の(私的な)感想しか述べられなくなる…みたいな。

(高校までの勉強がよくできた人ほどそうですね)

マニュアル・レーバーは近く「終わり」になるか、少なくとも厳しい国際競争に置かれるこれから、知価(情報)生産に移行したい。でも、その仕事に「感性」は不可欠の能力です。でも、未だに明確に工業生産時代のことも俯瞰できなければ「自分の苦手」を明確にできていないのが僕らの世代の大半。「感性」を磨く以前の段階から歩を進めることができずにいます。

まぁ、マニュアルを覚えて慣れるのだって、けっこうたいへんでしたからね。無理からぬことなんですが。

ただね。時代の変化は御構い無しです。無人化も進んでいる。
その割には長寿でね。どんどん「病気」は克服されていっている…

これから20年、30年、あるいはそれ以上を、年老いながら生きていかねばならない。それが現実なのが辛いところです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中