覆水盆に返らず

菅付雅信さんの著作「中身化する社会」(星海社新書)の扉に、こんな文章が掲載されています。

生きるうえで大事なことが、変わった。その変化の潮流を示すことが、本書の目的だ。
ネットの進化、そしてソーシャルメディアの爆発的普及によって、テレビや広告によるイメージ操作は、ほぼ効かなくなった。ウソや誇張はすぐに検証され、バレてしまうからだ。商品もサービスも、そして人間までも、その「中身」が可視化され、丸裸にされてしまう社会の中で、もはや人々は見栄や無駄なことにお金を使わなくなる。そして、大量消費的な流行に流されず、衣食住すべてにおいてより本質を追求するようになる。

菅付さんの文章だと、過去形か現在形な書き方で、だとすると異論もあるのですが、これが「近未来のこと」「現在進行形のこと」となると話は別。僭越ながら、僕も「こうなるんだろうなぁ」と菅付さんのお考えに「同意」です。
もちろん、国民全員に対して「テレビや広告によるイメージ操作が効かなくなる」には、ずいぶんと時間もかかるのでしょうが、SNSが「不祥事にも頰かぶり」な企業に行状を白日に晒していき、例の「エンブレム事件」のようなことも重なって、専門家的な「権威」がいうことだから信じるという風潮も後退していくでしょう。その結果「イメージ操作が効き難くなっていく」のだと思います。

いずれにしても、大きく変化するのは「個人」の方です。これまで、長い間「みんな」という匿名性の中に隠れていることができたのにそれが難しくなり、本音と建前の使い分けも効かなくなる…これまでの処世術とは大きく異なる生き方を強いられるようになります。もともと「個人」が看板で、本音と建前が一致している人ならいいのですが、匿名性の中に埋もれることで大過なく過ごすことがライフ・コンセプトだった人は、それ故に、本音と建前の乖離も激しいんでしょうから、これからは大変なんだと思います。

とにかく、SNSという便利で面白い「道具」が提供されただけではなく、みんながSNSをすることで社会のあり方が変わり、社会のあり方が変わるんだから、僕らに対するパブリック・プレッシャーのあり方も変わってしまうということを忘れずにいた方がよいと思います。

日常を暮らす学校や会社の人間関係だけでなく、会ったこともない人間関係の中に(芸能人でもないのに)身を置く僕らという状況に、僕らは慣れてはいません。
でも、僕らは慣れるべきだし、ある意味、器用に立ち回るしかないんでしょう。それは学校や会社の人間関係だってそうだったんでしょうが、ただ、今度はその関係が言語の違いすら超え、広大無辺に広がっている…

まぁ、たいへんですが「覆水盆に返らず」。自分だけ孤立して生きていくというのも現実的にはなかなか難しいですからね。

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