大人は肩身が狭そう

岩波ブックレットに「ラジオを語ろう」という一冊があります。2004年に発行された秋山ちえ子さんと永六輔さんによる「ラジオ談」です。そこに以下のような一節があります。永さんの言葉です。

戦後、男たちがみんな自信喪失して、どの仕事の現場でも無気力状態でしたから、女性がワーッと社会に出て行けたでしょ。
そして女性だけじゃなくて、若者も出ていけたんです。それが僕らの世代。十八、十九歳でした。〈中略〉
僕らの場合、現場に威張っている大人はいませんでした。みんな大人は肩身が狭そう。戦争に負けたショックが残っていますからね。

こうしたことが、これからだんだん鮮明になっていくんだと思います。前の敗戦のときのように8月15日といった、はっきりとした句読点はありませんが、引用した永さんの言葉にある「戦争に負けた」と同様に、例えば「石原慎太郎のカッコよさの失墜」などのようなことがいくつか重なって、大人たちは肩身を狭くしていくでしょう。
若い人はご存じないかもしれませんが、若くして芥川賞作家になった石原慎太郎氏は、当時の若者文化を牽引し、彼の小説タイトルを冠した「太陽族」などフォロワーを続出させ、その勢いそのままに、当時は「全国区」などという今以上にマスメディア上の有名人に有利な枠があった参議院議員に出馬すれば、当然ぶっちぎりのトップ当選。衆議院に鞍替えしようが、せっかく大臣になってもスキャンダルで、それでも、ある世代の人たちはピカピカにカッコいいできて、そして東京都知事と。もちろん、実弟は、あの石原裕次郎さんです。

そんな人が、明らかにカッコ悪く、惨めな佇まいにキュ即に変化していっています。それも「自家発電的に」です。たぶん、このことは彼に憧れ、彼を支持してきた世代の大人たちの肩身を狭くしていくでしょう。

こうした現象が各分野で起こります。それも有名人というだけでなく、大企業の管理職だからと、肩で風切ってきたお父さんにも起こります。彼らは工業生産時代とマニュアル・レーバー時代の次の時代への「解答」を持ちません。

そして、女性と若者、変わり者たちが台頭していきます。
実は、前の敗戦のときも「女性と若者」とともに変わり者たちも台頭しました。

敵性音楽だったJAZZのレコード盤を隠し持った者
英語の辞書と文献を空襲から守り抜いた者
戦争画を一枚も描かなかった画家…

こうした人々が戦後の文化を牽引していきます。軍部の抑圧に筆を折って沈黙した作家たちもそうでした。

前にも述べたように句読点ははっきりしません。でもグラデーションにしては明暗がはっきりした変化になるでしょう。「体制が崩壊しサバイバルな時代になれば、自由の風も吹き始める」の所以です。

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