「マーケティング」という志向と手法

1961年生まれの僕は、文字どおり「大量生産・大量消費」の時代に育ちました。学校教育も「考察する」は、ほとんど習わず、記憶力勝負な「覚えて慣れる」なもの。指導者も見本を示して、その見本をコピーさせるという指導法に疑いは持っていなかったと思います。

「大量生産・大量消費」の時代に無視されたのは「個別の差異」です。100個のリンゴの個別な特徴を気にしていては「大量生産・大量消費」はできないからです。ハンバーガー・チェーンだってここのお店ごとに特徴があったらチェーンにならないし、「誰でも」がスタッフになれる可能性が閉ざされます。就業スタイルも、就業者個々の働き方の質は問わずに「時給」や「日給」「月給」で均一です。

こういう僕らには、学校教育からして徹底指導されてきた「みんな」と、純粋に私的な「私」という尺度しかありません。
小商いな起業を考えるなら、小規模なマーケットを目指した商いをはじめた方がいいんですが、それは「大量生産・大量消費」の時代の「みんな」ではなく、だからと言って純粋に私的な「私」でもないものです。なぜって、社会参加して食っていくために演じていた「みんなの中の私」ではなく、純粋に私的な「私」、つまり、裸の「私」になったら千差万別すぎて小さなマーケットにもならない。例えば、僕の「私」は僕にしかなく、汎用は不可能なのです。

ただ、共通するものもある。そこを見つけるのが「小商いのマーケティング」です。僕の気持ちいいを開陳しただけではお客さんは来ない。少数でもお客さんのために商売を開けるしかないのです。

リハビリ散歩であちこちを歩いていると、最近は「若者」だけでなく、僕らの世代が起業した「小商い」を目にすることも多くなりました。
でも、たいていは「私の開陳」か、逆に品数勝負の「みんな」向けです。前者は店主さんには気持ちがいいのかもしれないが、こちらにはくどく、後者は、値段勝負でチェーン店に負け、「帯に短し襷に長し」といった感じのもの。つい最近まで工業生産時代だったし、よっぽど敏感にしていないと街場で時代の変化は読み取れませんしね。仕方がないとは思うんですが、申し訳ないけれど「これから先」はないでしょう。

工業生産時代が終わるから、誰もが「マーケティング」という志向と手法を持たないと…
そのあたりを会社が全部やってくれていたという時代は、もうすぐ終わりますからね。

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