私/私立の

多種多様なデラシネたちが集まって、なんだかニコニコしているような場所。そうした場所づくりは行政施策ではほぼ不可能です。なぜなら、行政施策は「多数決の多数」に拠って運営されているから。「多数」を形成するためは必ず「多様」を「最大公約数」化しなければなりません。つまり、誰にとっても「帯に短し、襷に流し」な施策に描かなければならないというわけです。つまり、変わり者だけじゃなくて、多数派な人にとってもジャスト・ミートするものではないんでしょう。誰にとっても窮屈なものであるはずです。

(よく「平均的な日本人」なんてどこにもいないっていうじゃありませんか)

つまり、各市町村に1億円ずつ配ったからといって「居心地が居場所」はできない…というのが現実です。

「多種多様なデラシネたちが集まって、なんだかニコニコしているような場所」は、私立の、そして小さな場所でしょう。小さくても、そがチェーン店のように画一的な場所ならば、また、その場所は「最大公約数」化してしまう。たぶん、発信力のある個性と共感者がゆるやかに集まっているような場所…いや、イマドキは「集まんない」のかな。

「大都市だから」が理由になるわけでも、「オーガニックな田舎だから」が理由になるわけでもなく「誰か」と、その誰かがいる「場所」…その場所は「インターネットの中」ということもあり得るでしょう。

いずれにせよ、「〇〇市が」とか「〇〇町が」など、地域的に栄枯盛衰がはっきりするような時代ではなくなっていくのでしょう。

ただ、デラシネにとって「風通しがいい街(あるいは村)」が「誰か」をたくさん集まる可能性はありますね。欧州などでは街道沿いに「旅人にやさしい街」っていうのがありますね。

でも、そういう街、役所に創れるものではないでしょう。むしろ、役所が主導すれば「そに逆」をゆくことになるのかな。

「私」「私立の」がカギになるはずです。

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