違いを判った上で共存すること

現在の東急東横線の武蔵小杉駅周辺は確かに「タワーマンション銀座」とでもいえるような風情です。僕が高校生の頃は、見るからに工場地帯で灰色の印象がありましたが今は昔の話し。陳腐な言い方ですが、まさに近未来都市といった景観です。
musashi-kosugi
今の僕はこうした景観を好みませんが、逆に、この街に住むことにこそ憧れるという方もたくさんいらっしゃいます。いつだったかワークショップに参加してくれた大学生のひとりも、目を輝かせて、そうした「憧れ」を語ってくれました。かくいう僕だって、灰色の造船所が、あの「みなとみらい」の景観に変わっていった当初はワクワクして、その変化を見つめていたのを憶えています。そういうわけですから、単純に「タワーマンションへの憧れ」を否定的に語りたいわけではありません。ただ、誰もが「タワーマンションに憧れる」わけではないということについては充分に考慮されるべきだろうとは思っています。

全部の街並みを「近未来」にデザインし尽くすのではなく「かつての時代」を彷彿とさせてくれるような街並みだって残して欲しい…「一億総中流」の時代が終わり、同世代のほぼ全員が「聖子ちゃんカット」という時代も過去のもの。街だって一色に染めあげるような感覚は過去のものにすべきだと思うのです。

suehirochoこれまた陳腐な言い方になりますが、右のような「レトロな」とか「昭和」な街並みは、一度壊してしまえば絶対に再現不可能な風情とともにあるものです。
例えば、ラーメン博物館のように人工色の強い再現物は造れるのかもしれませんが、あれは、鉄道模型のプラスチック製の街並みのように、表層だけ「よくできた」等身大模型に過ぎないもの。そこに人々が生きてきた「時間」は不在なのです。

とにかく「一様」ではなく「多様」なのがこれから。多様な人々がそれぞれに自分らしく生きて、彼らの出会いが刺激的な科学変化を呼び、新しい文化が生まれる…それこそが知価生産(情報生産)時代にふさわしい街のあり方です。

大勢が一斉に同じ作業をすることが効率的だった工業生産時代が終われば「普通科」的な価値観が世渡りの極意ではなくなってくるはずです。「みんな」は、ただただ「帯に短し襷に長し」の中途半端。まずは個性からです。そして、どちらか一方を否定得るのではなく、違いを判った上で共存すること。潰し合いでは科学変化も起きませんからね。

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