「専門」についての誤解

野球のルールを部分的にしか理解していない、ピッチャーが何をしているのかも知らない…それで僕がセカンドの守備についている…野球なら、そんなことはありえません。でも、大きな組織なら、それがありえない話しではないのです。

かつてのフォード・スタイルの工場で働く労働者は、できた製品であるところの自動車と自分が締めるべきネジの位置と締め具合には詳しくても、どういう原理で、その自動車が動くのかは知りませんでした。ラジオの組み立て工場で働いていた工員さんたちも、自分が取り付ける部品の取り付け方と、そのコツには詳しくても、ラジオ総体の原理やシステムには無頓着でした。でも、彼らはある程度のベテランともなると(例えば)「ネジ締めの専門家」を自負するようになり、工場側も、そうした風潮を煽ります。

でも、彼は、ホントに専門家なのかな。

だって、全体が理解できていなければ、まず「自分がやっていること」を全体に位置付けることができない。だから、なぜ、その締め具合がどうしていいのかを語ることもできないはず。それに、自分が専門と自負しているはずの「オレのネジ締め」だって、B品にならなくて済んでいるのは、自分が仕事を終えた後に製品の検査をする人の腕に拠るのかもしれないわけです。全体に無頓着というのはそういうことです。

故に、ホントの専門家って博識です。建築が専門でも政治経済、芸術文化…あらゆる分野に造詣が深い…その上で「建築」なのです。森羅万象とは言わずとも、少なくとも人間社会の総体の中に鮮やかに「建築」を位置付ける。今日の世界というヨコ軸だけでなく「現在・過去・未来」というタテ軸にも「建築」を位置付けて語れる。「建築」しか知らないというわけではないのです。もちろん工場にあっても、ちゃんと総体を理解して全体の中に自分の仕事を位置付けることができる「本物の専門家」もいらっしゃいます。

誰にでもできることではありません。前人未到な努力か、膨大な知識を得ることを可能にする「環境」があること、あるいはその両方があることが前提なんでしょう。
でも、それが得られないからといって「なんちゃって」専門は危険です。ややもすると「分担」の中に閉じこもる人ばかりで、全体を見渡している人が誰もいないということが起こりますからね。

たぶん「業務上過失云々」というのは、そういうところから始まるんだと思います。

(みなが分担の中に閉じこもっていると、ライトとセンターがお見合いしてボトリみたいなことが起こりやすくなりますからね)

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