これからは

アジテーターとしてのカリスマ性がもてはやされる時代も終わりかなと思います。
機械やコンピュータ、AIに拠る省力化が、どこの現場からも「集団による一斉作業」を過去のものにしていっています。工場労働だけでなく、詳しくは存じあげませんが、農業、田植え作業でさえ「村人総出で」の形は「今は昔」の風情だそうです。

嫌な話しで恐縮ですが、無人攻撃に拠る攻撃がスタンダードになれば、サンダース軍曹に率いられた小隊も、パットン将軍もロンメル将軍も過去のものになっていくようです。コントロール・シートに座る兵士は3交代制。間に食事休憩も取れれば、トイレに行くこともできます。

つまり、現場で「みんな」をまとめていくマネジメント能力も過去のものになっていくのでしょう。

現在55歳の僕は、人生の大半を「みんなで」の時代に生きてきましたし、もちろん受けてきた教育も「みんなで」を前提にしたものです。公立学校などでは、音楽や美術、体育などの分野でさえ、個性が知価を紡ぐ出すことを前提にするものではな「みんなで」を奨励する社会の「型に嵌める」それでした。

それ故、これから先を正確に見通すことはできませんが、「みんなで」の時代の社会像は大きく変化していくだろうことは予感しています。

それにバリアフリーになり、国境が溶けてしまえば「町一番の」というプライムが無化して、きゃりーさんのようにワールドワイドな力量がなければ…という状況にもなりかねないのでしょう。日本語の独自性が、この国の市場をガラパゴス化するなんてことも、だんだん過去のものになりつつあります。

オール4な成績だって大変なのに、評価されるのはオール5だけ。競争はひどくシビアなものになるでしょう。たぶん「一億層中流」の時代は終わるので、細分化した市場は、さまざまな需要を生み出していくのでしょう。でも、その小さな市場ごとに生き残れるのは「一番」だけ。生存競争は、はるかに厳しくなるのだと思います。

与えられた選択肢をチョイスして、無難にやり過ごす…「みんな」の中で目立たぬようにしている。
そういうライフ・コンセプトが、決してスマートではない時代が、もう直ぐ「そこ」なんだと思います。

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