再び三たび「多様性」について

ちょっと古い話ですが…

カルロス・ゴーンさんが、香取さんに「日本の企業の悪いところはどこですか」と問われて、「変化を嫌うところ」と「多様性を認めないところ」とおっしゃっていました。その話しを聞いたのは2010年の8月に放映された「Sma-STATION5総集編」(テレ朝系)のことでした。

「多様性を認めない」というのは、どういう意味かと思っていたら、「若手や女性を幹部に登用しないこと」などと続けていらっしゃいました。

…なるほど、ことほど左様におっしゃるとおり。それは企業だけじゃなくて、社会の構造ごと、そうかもしらんと思いながら聞いていたのですが、途中で、あれ?っ、ちょっと待てよと思ったのです。

というのも、日本文化は多様性そのものです。世界各地の民族の特徴が、沖縄流に言えば、チャンプルーしてできあがったもの。だから、日本各地に、それぞれの時代の遺物に、そういうのの色濃いところが散見できる…青森にはヨーデルみたいな民謡があるし、トルコの子守唄と日本の子守唄には、同じ旋律のものがある。ヴェトナムの高地にいる民族にも、同様の旋律を子守唄がある。法隆寺にはエンタシスの柱があり、厳島神社のシンメトリーな配置にはルネサンス様式が垣間みれる…などなど、よく日本は単一民族っていいますけど、逆にいえば、最終的に単一民族っていっても誰も文句言わないくらい、多様な民族が仲良く混じっちゃったともいえる。
鎖国してた、鎖国してたっていうけど、その割には徳川家康のブレーンにはオランダ人、イギリス人がいて(このオランダ人=ヤン・ヨーステンが日本人女性と結婚して、屋敷を構えたところが、今の東京駅八重洲口あたり。八重洲はヤン・ヨーステンの訛ったもの)、織田信長には、アフリカ系の近従がいた…と。近所の朝鮮半島や中国大陸の文化だけでなく、わが国の人々は、ずいぶんワールドワイドに異文化を受け入れて、混ぜちゃって固有の文化を育んできたのです。

それがいつから、多様性を認めなくなっちゃったんでしょう。

いくつかの本には、まず、工業の近代化っていうのが、よくなかったんじゃないかと書いてありました。大勢の人が、みんなで画一的な仕事をすればするほど効率がよいとされる、あれがよくなかったんじゃないかなーというわけです。
明治以来、工業だけでなく、すべての産業に、こうした「効率化」は徹底されていき、やがては前の大戦を支えた大政翼賛体制に結実していった(そういえば、その頃、非国民っていう言葉が汎用されてたんですよね)。それで、戦後は、その体制を踏襲しつつ、大量消費の時代です。同じ商品がたくさん売れなきゃいけない。できれば、日本人全員がユニクロっていうのが美しいわけで、多様性は、あまりうれしいことではなかった…

たいていの本が、そんな論旨の説明です。

でも、この国は、やっぱり多様性の国です。「多様性」に寛大だった歴史の方がはるかに長い。そして、その「多様性ぶり」が、この国の財産です。日本のサブカルチャーやデザイン分野の作品たちが、「ジャパン・クール」とかいわれて方々で評判が良いのも、ごちゃ混ぜが信条の日本作品には、どこの国の方にとっても馴染み易いきっかけがあるからでしょう。
結婚式は教会、お子さんの成長を喜ぶのにはお宮参り、故人を偲ぶのはお寺…この国は、そういう国でいいんだと思います。

というわけで、カルロス・ゴーンさんは「多様性」を認めて、日産を再生させたというわけです。

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