小野寺夫婦の戦争

きのう(2016年07月30日)NHK総合TVで放送された終戦スペシャルドラマ 「百合子さんの絵本~陸軍武官・小野寺夫婦の戦争」を気負いのない、でも、とても重厚なドラマでした。

実話を基にしたドラマ。それ故に思うところがありました。

あんなにも優秀な人が命を賭して戦争に抗しても、やはり東京大空襲ではたった一晩で10万人以上の方が亡くなり、沖縄で激しい市街戦が行われ、広島、長崎には原爆が投下されて、樺太や満州でも数え切れない悲劇が繰り返される…しかも、僕の知る限り、少数ではあるけれど「優秀な人が命を賭して戦争に抗していた」のは、小野寺夫妻だけではありません。

きっと国家というものは、個人が相手にするには大き過ぎる闇なんでしょう。
人一人が必死に勉強して命を賭して仕事をしても、それをあっはりと吸収してしまうブラックホールのようなもの…

国家に直球で挑んでもダメなんでしょうね。
世直しを志してお役人を目指すとか、政治家を志すとか…あるいはお役人だから政治家だから正道を目指す…そうした行動に出ると、志はブラックホールに吸収されて一生(良心の呵責から)悪夢にうなされ続けることになってしまう。

たぶん、教師を目指しても同じことでしょう。

小野寺夫妻の打電をもみ消したのは特定の個人ではなく「公」という闇=いわゆる不特定多数というものだと思います。
「闇」とはそういうものです。

そういうわけですから、たったひとりでも「自分らしく」を貫くことができるのなら、その方が正道を歩むことができるのかもしれません。
僕のリハビリがそうだったように、彼らにクレームをつけずに自主的に行う限りは、3ヶ月の入院を義務づけるわけではなく、あきれ顔だが1ヶ月足らずで退院はさせてくれます(そのかわり動かない脚での通院は義務づけられますが)。
そして、僕は僕のリハビリを続けることができるわけです。
今はインターネットがあって誰もが情報を発信することができる…その状況を発信すればいい。かねてより「私立の公共」を推奨してきた所以でもあります。

そうやって、彼らから距離を取りながら「自分の自主的な人生」をつくっていくこと。
まぁ、気の長い話ですが、僕はそっちの方向を実験してみるつもりです。

小野寺夫妻ほどではなくとも、僕も同じような経験をしてきているのでしょう。

それにね。

不時着姿勢をとるというのは、ただ怖くて震え上がっていることではありません。
不時着したときを取材して、できるだけリアルにイメージし、延命のための最善を尽くして準備をするということです。
そのための「私立の公共」でもあります。

僕は、もうずいぶん前から、この国のダッチロールは始まっていると思っています。

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