引用

林美雄さんのパックインミュージック

読後、この本に書かれている出来事のひとつひとつが、自分に近接的なところで起こったことであったことに改めてびっくりしました。知ってる人がたくさん出てきました。でも、題名にある「1974年のサマークリスマス」の1974(昭和49)年、僕はまだ中二のガキでした。林美雄さんのパックインミュージックも1975年の復活後、マイナーの自由さを失ってからを知るのみです(それでも十分に刺激的でしたが)。

hayashi僕は、無意識のうちに「終わった祭り」の軌跡を追いかけるように少年時代から20歳前後を過ごしていたのだと思います。まだ、自分のライフ・デザインが「街」という像を結んでいなかった頃の話しです。この本には教鞭をとってもらった師匠も登場します。長く仕事を一緒にした人々も登場します。ユーミンの「ルージュの伝言」以降に違和感を持つのも、タモリさんの四カ国語麻雀時代を懐かしく思うのも同じです。

でも、僕は、この本に書かれている出来事の現場を知りません。この出来事を現場で下支えした当時の若者たちは大学生や予備校生。中には高校一年生という方もいらっしゃいましたが、主体となったのは5〜6歳以上も歳上の人たちでしょうか。僕は、彼らに憧れ、フォロワーになろうとしていた中ボウ(中学生)だったのです。
つまり「その現場の熱気」を知る人から「話しには」聞いたことがある…当事者ではなく傍観者でした。

そして、憧れました。

話はすぐにまとまった。
十人が二千円ずつ出せば家賃が払える。どうせ毎日のように誰かと会って飲んでいるのだ。部屋に酒と食材を持ち込めば、外で飲むよりずっと安い。

柳澤 健 著 「1974年のサマークリスマス 林 美雄とパックインミュージックの時代」から

「そのうちに荻窪のアパートを〝荻窪大学〟と呼ぶようになった。略して「荻大」。部屋にはノートが一冊置いてあって、来たら何かを書く。新宿で飲んでいて遅くなって帰れないから泊まりにきたとか、この映画が面白かったとか。荻大に行くと、夜には必ず誰かがやってきて、最近あった話をして盛り上がる。要するにたまり場ができた、ということです。(以下略)」

前掲書 宮崎 朗さんの発言

そして、自分でも、こうした現場をつくってみようと試みました。でも、口伝で伝わる部分を想像で膨らませたような計画は、どこか華奢で、そして雑。いいところばかりを膨らませてしまうところもあります。達成感を得られない状況をずっと引きずっていました。

たんなるフォロワーを少し脱して、自分で考えようとし始めたのはようやくここ数年のことなんだと思います。

年齢も出身地も学校もバラバラで、林パックを熱烈に愛したこと以外には何の共通点も持たない荻大の友人たちとの会話は、とてつもなく面白かった。(前掲書 244頁)

でも「なんの共通点も持たない」「友人たちとの会話は、とてつもなく面白かった」を追い求めていることには変わりがない。だから、アメリカの都市社会学者=クロード・S・フィッシャーのフィールドワーク「友人のあいだで暮らす」を知ったとき「ああ、やっぱりあってたんだ」と思ったし、今も「林パック」にあたる「何か」を探してるんだと思います。

柳澤 健 著 「1974年のサマークリスマス 林 美雄とパックインミュージックの時代」
集英社 刊

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