もうしばらくのこと

僕は誰もが個性的なんだと思っています。生地の自分は個性的です。
でも、朝の東京駅から溢れ出るスーツ姿の人々はやはり画一的です。みな食べるために、個性を隠して「フツウ」を演じているのだと思います。
この「フツウ」でいる時間には世代論が有効です。僕らは新人類で、ある世代の人は「ゆとり世代」です。みなが画一的な学校教育で育ち、その指導要領が文科省(文部省)の考え方によってスイングしていく、それ故に、その同時代を共有した者どうしが、同じような性向を持つ同じ世代ということになります。
いつの時代も大量消費を歓迎・奨励する企業の思惑も僕らの個性を奪っていきます。その上で、僕らを、よりデープに「フツウ」に組み込んでいこうとします。経済成長が叫ばれれば叫ばれるほど、僕らは「粒ぞろい」に仕立てられていきます。

それぞれの街にテーラーさんがいて仕立て服が当たり前だった時代から、大手の紳士服チェーン店の既製服がスタンダードになる時代へ。

スマホが生活に入り込んできて、政府にも企業にもトモダチにも左右されない自分の時間を持つことが難しくなりました。

「フツウ」に参加している状況は1970年代も2016年の今も変わりませんが、僕らは、あの頃よりもはるかに個性を奪われ「粒ぞろい」を演じる演技力を要求されています。それも、あの頃と違って24時間営業です。会社に勤めていなくたって、クラスメイトやママトモなどとは、相手の都合次第でずっとつながっているのです。

でも、まぁ、もうしばらくのことでしょう。
こんな状況が長く保つわけがありません。現に可能な人からケイタイ、スマホからは距離を取り始めています。

もう風船はいつ割れるかといった状態なんだと思います。

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