老人と海

オランダ・ハーグの仲裁裁判所が南シナ海における中国の主権を否定した…という仕儀が、あの頃の「リットン調査団」による満州事変や満州国の調査だとすれば、中華人民共和国は、あの頃の大日本帝国です。あの頃の大日本帝国も日の出の新興国でした。そして、膨張しすぎた国民の要求に応えられなくなって中国大陸の権益搾取を求めて欧米諸国の思惑とぶつかる…。もちろん企業(財閥)や政府の思惑もあったでしょう。満州国をメイキングし、そのまま突っ走ろうとするところで対立も決定的になる。つまり南シナ海での出来事と似ています。

ロシアはあの頃のドイツに似ていなくもない。EUが大迷惑している難民問題の遠因はロシアにあります。ロシアのドーピング問題がなぜ今だったのかなとも思います。

現在のわが国は「同盟国」側でしょう(僕は負けた方が後に「枢軸国」と呼ばれるのだと思っています)。そういう意味では第一次世界大戦のときと似ています。歴史家には「漁夫の利」という人もいますが、欧米各国に比較すれば少ない犠牲で、(第一次世界大戦のときは)戦勝国の一員となり、南洋諸島という領土や大陸進出のきっかけをつかみました。
でも、後に自信過剰気味に暴走する…そして、この国の都市という都市は焦土と化し、兵士となった人々に限らずたくさんの犠牲者を出し、敗戦にいたる。原子爆弾はその災禍に遭われた人々に重篤な後遺症を残し、大陸進出の尖兵となった人々も親子が引き裂かれ、全財産を失い、沖縄のみなさんは市街戦に巻き込まれ、未だに米軍基地の暴力に怯えていなければならない。

今にして思えば、そういう結末に至る「戦勝」だったわけです。

あの頃も経済戦争の負けを「戦争」という切り札で免れようとした感があります。それは「日本が」ということではなく、大恐慌にやられていたアメリカ合衆国も、戦敗の賠償金に悩んでいたドイツなどもそうなのでしょう。そして、どの先進国も多かれ少なかれ、そんな感じだったからこそ「世界大戦」になったのでしょう。

今も、状況は似ています。

こういう時代に、どういう「庶民」でいればいいんでしょう。
まぁ、そんなことに「教科書」があるわけもありませんから、手探りでいくしかありません。

とにかく、警告の類は大衆に吸収されて消えていくのが世の常です。状況が好転するわけもなく、このまま進むのでしょう。この時代を「海」だと思って「老人と海」のサンチャゴのように手探りの航海を続けること。

まずは「海を知る」から…僕らは「庶民」です。

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