終わること  ー「お金」至上な時代ー

なんだかんだいって、庶民は「お金」を目指してしまいます。「食えない」と背中合わせですから当然ともいえますが、「開運!なんでも鑑定団」(テレビ東京系)よろしく、作品性や歴史性まで「金額の高低」で表現しようとする貧しさもあることは否めません。食べ物や化粧品だって「高いもの=良いもの」という評価軸は厳然としている…そう言わざるを得ないところがあります。

でもね、庶民が目指せる「お金持ち」など「たかがしれてる」ということがわかってきました。曲がりなりにも教育水準は上がりましたし、トマ・ピカティ氏の論説や「ウォール街を占拠せよ」みたいな抗議行動のことも少しはマスメディアに乗るし、インターネットのなかではさかんに論議されるほどに情報が流れてきます。

所詮、どんぐりの背比べなのです。

でも、それなりの収入をえるためには「うつ病」や「複合的なストレス」などのリスクも高まることを学習し始めました。実際に「どんぐりの背比べ」なのに「キラー・ストレス」などに命を晒すなど、ある意味「バカみたいだ」と、自分たちの消費を精査し、その道を離脱する動きも、すでに始まっています。
子どもたちの「お受験」についても、そうしたことが彼らを幸せにするとは限らないことが判ってきました。もちろん、そうしたことが「生成り」である家庭もあるのかもしれませんが「背伸び」はいけない…しかも「学歴」が万能である時代も、実際に終わりつつあることが、なんとなくは体感できるようになってきています。

たぶん、これからは「お金持ち」ではなく「時間持ち」でしょう。
自由になる時間をどれだけもっているか。通勤時間を含め、束縛される時間をどれだけ持たずに済んでいるか…。後者は「お金」でいえば「借金」に当たるのでしょう。

収入や貯金を増やすより「のびのび」できる時間を増やすこと。政府が推進する「ふるやとへのIターンやUターン」事業なども、そうした流れを加速していくのだと思います。そうそう成り上がれないのなら、気楽に生きた方が勝ちです。

少なくとも二極化はすると思います。まだ走り続ける人と、ゆっくりと歩き始める人と。
ドリンク剤「リゲイン」が「24時間戦えますか」っという惹句で売り出されたのは1988(昭和63)年のことでした。そういう時代が「お金」至上な時代とともに、ようやく曲がり角を迎えているようです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中