もっと冷静に

政治家が「群衆の感情的な部分」を助長するアジテーターに過ぎないのなら、たぶん、その存在が「ありがたがられる」ことはなくなるでしょう。「みんなで一斉に」の工業生産時代が終わった(工業生産が海外に流出した)国々ではなおのことです。

そういう意味でのカリスマ性は過去のものになります。

言い換えれば「演説」の「演」の胡散臭さがさらに目立って受け取られるようになるということでもあります。
21世紀が終わる頃には、人々も何かに懲りてもっと冷静になっているでしょう。

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