舟を沈めさえしなければ

先進各国の民主主義が感情的になっているように思います。もちろん意地を通していいことはありません。
でも、これは人間の宿痾みたいなものなんでしょう。民主主義というシステムが、感情的なった「群衆」の、その勢いのままに作動してしまうシステムであることの弊害を痛感し、イデオロギーでも政治論でも、あるいは宗教論でもない、文明論として社会の「是」を語る…そういう時代を迎える前の陣痛のような時代が、ここしばらくは続くのだと思います。

20世紀も、20世紀の理想を(曲がりなりにも)安定させるまでに半世紀を要しました。うちのオヤジは「男だったら死ね」という時代に少年期から青年期を過ごし、そして敗戦から立ち直ったら、もう30歳を過ぎていました。僕のこれからは「オヤジの30歳代まで」未来なことになるのでしょう。ここまでをぬるま湯の中で過ごしてきましたから仕方がありません。オヤジの前半生、僕の後半生、おあいこだなと思います。

たぶん、人々は現状の民主主義に懲ります。そのためにどれくらいの時間が必要で、どのくらいの犠牲を要求されるのかはわかりませんが、だぶん群衆の暴走を止めることができないような民主主義は懲りて終わりにするでしょう。

その懲りた後の時代を構想して、しばらくは過ごすべきなのかもしれません。敗戦後に「戦後」をつくっていったリーダーたちは、そうやって戦争中を過後していたそうです。そういえば、かの白洲次郎氏も、戦争中は武相荘に篭って畑づくりだったはずです(ちょっとハイソに過ぎる晴耕雨読ですが)。

成長戦略の無理も明らかになるでしょう。大東亜共栄圏の無理が明らかになるのと同じです。

さあ冷静にいきましょう。荒海にも舟を沈めさえしなければ海路の日和歯あるはずです。

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