昭和20年5月29日

yamashita-choあの日、片腕を無くした学生らしき女性が、ここに、無表情なままに、へたりこんでいたんだとおっしゃっていました。なぜ彼がここに通りかかっていたのか、その女性はなぜここにいたのか。彼女を助けてどこかに運んだのかどうか、僕はお話しをうかがったはずなのに、全く思い出せません。

それほどに、僕にとって「片腕を無くした学生らしき女性が、ここに、無表情なままに、へたりこんでいたんだ」という事実はショッキングで重いものでした。

昭和20(1945)年5月29日の横浜大空襲は昼間爆撃でした。B29爆撃機500機以上、P51戦闘機100機以上…焼夷弾による無差別爆撃。昼間爆撃になったのは焼夷弾攻撃の詳細なデータを集めるためだったともいわれています。

女性がへたりこんでいたという場所は、子どもの頃から何度となく通り過ぎてきたところです。中華街へと続く路のひとつ。JRの駅へと続く路でもあります。

もちろん、当時とは舗装の様子も変わっているでしょう。ここの目の前を流れていたはずの運河も今は高速道路になってしまっています。でも、あの時の「時間」はあの時のまま、今でもここに流れているような気がする…つまり、あの時の女性は、今でも片腕を失ったまま、ここにへたりこんでいるような気がするのです。

わすか1時間強の爆撃で、鶴見、神奈川、西、中、南、保土ヶ谷区の全域が壊滅状態になり、市域の30%が焼失。当時の市民の3人に1人が被災しました。死亡者数は推計で1万人といわれています。

原子爆弾でなくとも街を焼くことはできるのです。
人が人を生きながら焼き殺し、その成果をデータにとる…こうしたことが許されるなら「核兵器」があってもなくても同じなのです。問題は「道具」のことではなく、「戦争を企てる人間」がいるかいないかです。

科学と戦争の関係だけでなく、ビジネスや経済と戦争の関係をもっとつまびらかにし、21世紀の僕らはその事実を、僕らの課外の可能性も含めて正確にジャッチすべきです。

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