そういう時代

「小学校でのプログラミング教育の必修化」という場合のプログラミングとは、ようするにコンピュータに「こうせよ」という指示を与える…その「与え方」を勉強しようということです。考え方によっては「英語」の他に第二外国語で、もうひとつの外国語が必修になったと思えばいいくらいのものです。
でも「どんな命令を出すのか」を発想するのは難しい…何しろ優秀な複写機を目指して勉強してきた直後の時代ですし、その時代も長かったので、大人たちは「真似する」に長けていたって「発想する」は大の苦手。下手をすると、発想力豊かな子どもに自分の価値観を押し付けて、彼らを潰しかねないくらい…解らないから口を出すのは止めよう…が関の山です。

ホントはね。「英語」だって「英語が話せれば何とかなる」ではなく、相手が注視してくれる「話の内容」を持っているかどうか。英語力云々より、知識や教養みたいなもの、人柄などが大事。現況「英語が話せるボランティアガイドさん」も、歴史の教科書に出てくるようなデータを話すだけで、例えば「自分の竜安寺石庭」感を語ることができない…つまらん…という話をよく聞きます。でも京都案内にはまだ「台本」がありますが、コンピュータはただの「箱」です。ドラえもんのポケットかもしれないけれど、手取り足取り、一から教えてやらないとうんともすんとも言わない、ただの「箱」なのです。

今の日本人には難しいでしょう。その「難しさ」を認識できないくらい難しい。
でも、できるヤツはできるから「二極化」というわけです。

でも、時代は変わってしまった。ある程度、竜安寺に知識を持った観光客が来て、あの「石庭」の謎解きを一緒にやって、それでやっと満足させられるようになった。あとはスマホがなんでもやってくれます。ガイドなど呼ぶ必要もない…つまりね。コンピュータのプログラミングだけでなく、どのジャンルの何についても各人の素養が試される時代になったというわけです。ノウハウを覚えれば済むことはAI(人工知能)とロボットがこなし、ただの情報量を記憶しているだけのちしきなら「検索エンジン」にはかなわないですからね。

「みんなで」の時代が終わったともいえる…

そういう時代になっちゃったんだから、しょうがないですね。

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