無関心

「御託を並べる」の「御託」は「御託宣(ごたくせん)」の「宣」が略されたもの。御託宣は「神のお告げ」、もちろん「神様のありがたい仰せ」なわけですが、その一方で「長々ともったいぶっている」ようでもある…「御託を並べる」は、この部分が強調されて「自分勝手な言い分を、さも偉そうに述べる」という様を揶揄する意味で使われるようになったというわけです。

市町村単位の業界団体、商工団体などの会合などでは、この「御託を並べる」の大会です。各人が御託を並べます。そして結論は出ない。出なくても会社は潰れませんし、行政からの支援も続きます。故に「堂々巡り」=「信徒や僧侶が願い事を叶えるために、神社や寺のお堂の周りを何度も回る儀式のことを言った。 そこから、同じことを繰り返し続けることを〝堂々巡り」という」も習い性です。

1990年代以降、市区町村レベルの商工業・サービス業はたくさんの問題を抱えてきましたが、ずっとこの調子で数十年…当初は「田中派」的も強かったですからね。そのことが地方・地域の中小企業にヘンなクセをつけてしまったというわけです。銀行や信用金庫も彼らの味方でしたからね。
ときおり、小さな「新・企画」をやってみることもあるんですが、ヘンなコンサルタントか「村人」の企画で、「村の中」の人材でキャスティングするわけですから、一般の消費者を振り向かせるほどの新機軸を打ち出すことは難しい…。たいていは学芸会の域を出ないものです。現に、ごく一部の例外を除いて、地方・地域の経済の流れが変わったという話も聞いていませんし、町おこし事業もたいていはフェイド・アウトです。

でも、まだ御託を並べながら堂々巡りを繰り返しています。
竹下政権が倒れてからだって、もう20年以上てっている…彼だって、すでに地方・地域がピンチだったんだから、全国の市町村に一律1億円を支給する「ふるさと創生事業」なんてことをやったんでしょう。それなのに…です。

どれだけ税金を無駄使いしてきたのか…市井も無関心に過ぎました。
確かに、彼らの命運もそろそろ尽きてきているようですが、その頃には国の命運も尽きているというお粗末。返す返すも「無関心」とは怖いものです。

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