街を合唱する

ある再開発地区で、ずっと観てきた「模型」の建物が現実のものになり、しかも、その現実が寸分たがわず「模型どおり」になっていく経過に参加していて、急速に醒めていく自分を感じました。まだ20歳代でした。

完全に距離を置くという選択もあったんでしょうが、当時の僕は、この高層の街に「等身大の温かみ」を加えることはできないかと考えました。
まぁ、若かったんですね。でも、以来、無駄な抵抗を続けています。ただ、再開発に関わり始めて四半世紀以上。舞台裏を見てきただけに、むしろ、高層の街のフィクションにさらに押しつぶされる感じは年々強くなってきています。

そういうわけで、最近の僕は「低層の街」でも何かできないかと考えをめぐらせ始めています。

「低層の街」というのは、二階建てから、せいぜい五、七階建ての、商店と住宅が至近に混在しているような街です。できれば「面的」な開発の手が入っておらず、自然に「街」になっていったというようなところ。もう東京の下町は厳しいですが、都電荒川線の沿線はイメージしやすいでしょうし、案外、東急各線の沿線にはそういう街が残っています。

そういう街に「プランを描く」のではなく、仕事場兼お店を一軒開きたいなと思っています。僕は「職住一体」が正しいと思っていますから、たぶん、昔の下町みたいに、住まいもその街に構えるんだと思います。

誰かが描いたプランで、ある街を染め上げてしまう…合議だとしても何十人という人数でそれが行われることはありません。それよりも、それぞれの小さい「個性」がハーモニーを奏でるように街を合唱する…ときどきは歌が下手な人がいるかもしれないけれど、それがまた「かわいらしさ」になる…故に、条例で縛るんじゃなくて「私立の公」を頼りにする。

だから、僕は「お店を一軒」開きたいのです。

(たぶん、「お店」といっても「お店・のようなもの」だとは思いますが)

今は亡くなってしまった横浜中華街の華僑の重鎮が「決め事で縛るより、みんなが真似したくなるようなお店をつくったらいいのよ」と言っていたのを思い出します。その後の中華街は逆を行きましたが、だから見てくれだけの再開発の街なり、面白さも美味しさも、楼門はないけれど、池袋のチャイナタウンの方が、はるかに上をいっているように思います。

面的なプランで染め上げるのでもなく、条例で縛ることもない街の「空の青さと広さ」、等身大の街並みを大切にしたいと思っています。

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