東京空洞説

たぶん、現在の「東京」というイメージ。それを創り上げたのは、東京に幼少期の記憶を持たない人たちです。
高校を卒業するまでは、それぞれの故郷にて、大学か専門学校への進学を契機にしたか、それ以降に東京にやってきた人たちのうち、放送局や新聞社、雑誌社、ファッションや建築などに関わる人が「これこそが洗練されたアーバンなイメージ」という感じを頭の中に想像して、それを東京という街に具現化していった…そんな感じでしょう。

彼らに「東京の日常」についての記憶があれば、六本木ヒルズやミッドタウン、代官山ヒルズや表参道ヒルズ、お台場などの景観だけが「東京の日常」の日常から浮き上がっているとか、テレビ・ドラマの主人公たちのライフスタイルが「日常離れしていること」はなかったんだと思います。

あれは「雛」からみた「憧れの東京」です。「東京の日常」を描写したものではありません。

けれども、その「想像の産物」はメディアの中に留まらず「現実の空間」としても具現化されていますから、故郷を後にして六本木ヒルズあたりに住んでいれば、歩いて行ける範囲の全てが「東京物語」というフィクション。それが現実の東京だと思い込んでしまっても無理はないのです。

東京出身の人が一人も出演していない東京を舞台にしたドラマがあります。高校生までを他の場所で過ごした人どうしが東京のなんたるかを対談しています。

それが現在の東京です。

でもね。そもそも徳川家康だって三河の人です。
あらかじめ自律的な地域性は失われており、まるでアメリア合衆国がそうであるように、自分たちが勝手に「国」をはじめる以前のネイティブを語ることができない街が東京だともいえます。大阪には基層文化がありますが、東京には「基層」といえるような土壌がありません。たぶん、大阪には市井の人々がコツコツと積み上げてきた地域文化の歴史があり、東京には最初から面的に再開発の歴史しかないからでしょう。

東京空洞説… ヨコハマだけじゃないんだなと思います。

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