地下水脈

島倉千代子が、ある公演のとき、疲れから声がでなくなると、客席から「おチヨちゃん、歌わなくていいよ。俺たちが歌うから」と声がかかり、会場が「からち日記」の合唱の声に包まれ、島倉がはらはらと涙を流したというエピソードもある。

これは三浦展さんの著作「昭和『娯楽の殿堂』の時代」(柏書房)からの一節。僕が小学校に入学するかしないかの頃の東京は江東劇場でのできごとです。
いつから、こういう演じ手と客席のキャッチボールがなくなちゃったんでしょう。もちろん今だってキャッチボールはありますが、なんだか豪速球と豪速球のキャッチボール。舞台上の歌い手さんが会場を煽ってお互いに闘いを挑んで、それを楽しむような…。まだ、こんなにメジャーになる前のperfumeさんのライブで、ちょっと息切れしきた「あ〜ちゃん」に、客席から「大丈夫、待ってるから、ゆっくり」と声がかかったことがあって、妙にうれしくなったことがありますが、イマドキ、そういう感じは稀な気がします。少なくとも「おチヨちゃん、歌わなくていいよ。俺たちが歌うから」はありえないでしょう。

いつから、この国の大衆は像を変えて、その変化は誰が主導したんでしょう。

僕は、SNSがあるから「苦情殺到」やいわゆる「炎上」という現象が起こるようになったのではなく、大衆の現状が可視化できるようになっただけ。しかもSNSを日常的にやってる人は、実は国民全体のごくごく一部ですから、たぶんに、その「可視化」も世論の一部を拡大鏡で見せているようなものなんだと思っています。でも、あの頃の「おチヨちゃん、歌わなくていいよ。俺たちが歌うから」という人たちが、今も(一群でも)どこかに息づいているとは思えないのも事実です。

なんだか今の時代。ゲシュタポやKGBみたいな組織が暗躍しているようでもあり、大日本婦人会みたいなパブリック・プレッシャーも感じます。

ただ、豊かな時代が長く続いたおかげで、市井に良識が育っていることも事実です。以前にご紹介した文章をご紹介します。

数年前に発表された加納さんの構想によると、東京湾三億坪のうち、東京都の一倍半にあたる二・五億坪を埋め立てようという。そのためには房総半島の山々を原子力で崩し、その土を運び、ここに新大東京都をつくりだす。一方、山々でさえぎられていた太平洋からの南風を東京に送り込んで、東京の冬を五度暖かく、逆に夏は五度涼しく、つあり土地造成から気候改変までやろうという途方もない夢であった。

江戸英雄 著「すしやの証文」より

江戸英雄さんは1955(昭和30)年に三井不動産の代表取締役になり、1974(昭和49)年には会長。1990(平成2)年には、あの「国際花と緑の博覧会」協会の副会長も務めた方。名士中の名士といっていい財界人です。この「すしやの証文」は1966(昭和41)年に朝日新聞社から出版された彼のエッセイ集です。後に中央公論社から文庫版も出版されていますが、文庫版が出版された1990(平成2)年にも、前述の一節はそのまま生かされています。
ちなみに文中に登場する「加納さん」というのは、加納久朗さん。初代の日本住宅公団総裁であり、千葉県知事さんでもあった方です。

つい最近まで、この国だって「良識も教養もある人」とされる人たちがこうだったんです。市井の人々が多少、感情的でも過激になっても、少し待つべきです。たぶん、この国の市井には「おチヨちゃん、歌わなくていいよ。俺たちが歌うから」というやさしさが地下水脈のように流れているはずです。大多数ではなくとも、かなりの人数にそういう水脈を持つ人はいるでしょう。「大丈夫、待ってるから、ゆっくり」に、僕はそのことを確信しています。

 

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