自分なりに「都市」を考えるようになってどのくらいたつのでしょう。未だに発見があるくらいですから、ぜんぜん解っていないんでしょう。
でも、いくつか判ったこともあります。
例えば、ヨコハマのように江戸時代までの歴史をほとんど持たず、その後の150年ほどで急速に膨張してしまった都市と、中世あたりからの歴史を積み重ねて熟成されてきた都市とでは、そのコミュニティ、人々の紐帯のあり方が全く違うということなどです。
京都には、大阪夏の陣、冬の陣の落武者狩りを理由に、すでに江戸時代にはいった頃には「住民票」のようなものがあり、さらに町衆の自治の歴史は応仁の乱以前に遡るという歴史がある都市もあり、それから100年以上遅れるものの、大阪にも、太閤秀吉の時代から元禄期にかけてで、すでに熟成されていた生活文化・治世があり、それは現在の大阪のみなさんの生活文化に受け継がれています。こうした都市と、近代以降にしか歴史を持たず、貿易と重工業で、急速に、大量の労働者を抱え込み、自然災害や戦災が、その労働者たちの土着を許さず、賽の河原のように図体だけがデカくなったヨコハマでは、質的に大きく異なり、画一的なコミュニティ施策を施すわけにはいきません。
塩釜、松山、福岡にも早ければ古代からの歴史があります。戦国大名や江戸大名たちが基盤をつくった都市にも、それぞれの歴史があります。同じ港都ではあっても函館には遅くとも中世以降の、神戸には平安末期からの歴史があり、やはりヨコハマとは異質な歴史があります。
自治体に何かの成功事例があると、全国から「視察」が来ます。でも、この視察から何かが生まれたという話しを聞いたことがありません。工業生産時代は、何事も「先行事例」を「複写する」だったわけですが、個別的な事例を持つのがスタンダードの都市に、一律な施策を施そうとする方が間違いだったのでしょう。
今はそう確信しています。
その都市に詳しい方がいて、さらにその方が街づくり事業などの実践者で、その方が参考にしたいとおっしゃるなら、僕は僕の体験談を語ることはできるでしょう。でも、それ以上のことをしてはいけないのだと思います。ましてや、その都市の日常をほとんど知らないのに、コンサルタント然として、その自治体に「もの申す」なんていう姿勢や気持ちでいることは慎むべきなんでしょう。
そうでなければ、質的に暮らし心地がいい都市なんてできるわけがないんだと思います。
そこにある生活はきのう、きょう出来上がったものではありません。ヨコハマでさえ絶えず流入が続いた「150年以上」という歴史があるのです。
そうした歴史を無視して数年で都市をつくり変えようなんて、ホントはおこがましい話しです。
改めて歴史を知り、その都市の日常をじっくりと観察し、そして、その都市にオーダーメードの施策を立案すべきです。